「知恵」を辞書で引いてみると

箴言の和訳を読んでいると、知恵・思慮・分別・悟りなどの言葉がよく出てくる。


はて、わかったつもりになっていたが、これらは結局どういう意味なんだろう。
そう思って、今日は図書館に行ったついでに、広辞苑大辞林新明解国語辞典を引いてみた。


すると、けっこういろいろと面白かった。


たとえば、「知恵」は、広辞苑だと、物事の理を悟り、適切に処理する、といったことが書かれている。
大辞林だと、事の道理や筋道を弁え、正しく判断する心のはたらき、と。
大体、よく似ている。


一方、新明解国語辞典だと、判断し、的確な処理をできる能力、当面の問題を解決するための良い考え、といったことが書かれている。
さらには、新しいものを探究し、分らなかったものを解決していく能力、といったことまで書かれている。


広辞苑大辞林は、物事の道理や筋道の把握に、新明解国語辞典は問題解決能力に知恵の意味の重点を置いているようだが、どちらも知恵にとって大切なことだろう。


また、「思慮」については、広辞苑では、注意深く考え思うこと、よくよく考えること、といったことが書かれていた。
一方、新明解国語辞典では、将来どうなるか、また自分はどう行動したらいいかについての判断力、ということが書かれていて、なるほどと思った。
二つの辞書を合わせると、慎重さと先見性が思慮には大事だとあらためて考えさせられる。


「分別」については、広辞苑は、考えや思案をめぐらすこと、といったことが、
大辞林は、物事の是非・道理を判断する、といったことが、
それぞれ書かれていた。


一方、「分別」について、新明解国語辞典には、社会人として求められる理性的な判断、と書かれていて、かなり笑えた。


「悟り」については、広辞苑では、理解すること、気づくこと、などが。
新明解国語辞典では、隠されていた事情に気が付くこと、迷いから覚めて真理を実行すること、などが書かれていた。


読んでいて、しみじみ思ったのは、『新明解国語辞典』を書いた人は、よほどの知恵の持ち主に違いない、ということだ。
とても面白かった。


「慎慮」は広辞苑にしか項目がなく、そのかわりに「深慮」が新明解国語辞典にもあった。
「深慮」について、新明解国語辞典は、読みの深い考え、と書いてあって、これもなるほどと思った。


物事の表層や個別のことだけでなく、筋道や道理を把握し、問題を解決するために正しく判断し適切に処理する力。
先を読み、慎重に注意深く、自分はどう行動したらいいか適切に判断する力。
深い読みを持ち、隠されていた事情によく気が付き、迷いから覚めて真理を明らかに知っていく力。


などなどを日ごろから常に求めていくことが、要は知恵を愛し、知恵を求めるということだろうか。


今度は、そのうち、英語やヘブライ語の辞書でもせっせと読んで、それらの言語におけるwisdomやprudenceやホクマーやメズィマーについて調べて、考えてみたい。