箴言を読んでいて、なるほどーっと思う箇所があった。
Like cold water to a weary soul
is good news from a distant land.
(Proverbs 25.25)
渇いた喉に冷たい水、遠い地からの良い便り。
(箴言 第二十五章 第二十五節 新共同訳)
遠い地からの良きたよりは、
涸れかけた魂への冷たい水のようなものだ。
(箴言 第二十五章 第二十五節 自分訳)
マイム・カリーム・アル・ネフェッシュ・アイェファー・ウシェムアー・トヴァー・メエレツ・メルハック
遠い場所から伝わってくる良いたよりは、疲れて渇いた心を、冷たい清水のように潤し、よみがえらせてくれる。
なるほど、と思う、美しい一節と思う。
この「良いたより」というのは、文字通り、遠方からの何か良い知らせかもしれない。
遠方の人からの手紙やメールは、無事という知らせだけでもことのほかうれしいものだ。
しかし、たぶん、ここの「良いたより」というのは、もっと深い意味があるように思う。
たとえば、福音は、英語のいくつかの訳だと”Good News”である。
良い知らせという意味だ。
日本は島国なので、たいていのものは、遠い地から伝わってくる。
その中でも、たとえばイエスの福音や、仏陀の経典は、それぞれの時代において、義に渇き、あるいは疲れ切った多くの日本人の心を、潤し、よみがえらせてきてくれたと思う。
他にも、良い文学や詩歌というのも、この「良いたより」に含んで良いのかもしれない。
疲れ、渇いた心を、どれだけか、たとえば中国の漢詩や、ドイツの音楽や、さまざまな海外の小説などが、潤してきてくれただろうか。
また、海外の本当に立派な人物の事績を伝える歴史や伝記も「良いたより」かもしれない。
リンカーンやキング牧師や、あるいはマハトマ・ガンジーやマンデラさんなどの事績や生き方や言葉に触れる時に、たしかに彼らは遠い地の人々ではあるのだけれど、彼らの活躍した地からは遠くに生きる私たちも、心が奮い立ち、活力を得、時には魂がよみがえる気がする。
時折、あまりにも自分の国の歴史や伝統を大切に思うあまりに、遠い地からの良いたよりに耳を閉ざす人々がいる。
島国根性や排外主義というのは、究極的なところはそういう心に根差しているのだろう。
しかし、それはあまりにもったいないことである。
どこの地で生まれたものであろうと、良いものは良いものである。
むしろ、遠くの地で生まれたものこそ、かえって私たちの心を潤してくれる場合もある。
遠い地で生まれた良いたよりという、清冽な清水を飲みながら生きていくことこそ、このとかく心が枯れがちで、疲れさせる現代社会を生きぬくために、最も大切なことかもしれない。
そして、遠い地からの良いたよりというのは、身の周りに普通にあること以上に、耳を澄まし、耳を傾ける努力が、やはり必要なものなのだと思う。