マルティアリスの詩 メモ

マルティアリスの詩で、以前も書いたが、気になっていたものがあった。

雑感 幸せな人生とは - elkoravoloの日記

 

当時はサリー伯の英訳までしか読めなかったが、ラテン語原文がちょっと読めそうな気がしてきたので、ラテン語原文をネットで探してみたら、見つかった。

https://sites.google.com/site/texteschoisis/home/martial-2?tmpl=%2Fsystem%2Fapp%2Ftemplates%2Fprint%2F&showPrintDialog=1

 

そのうち、じっくり読んでみようと思う。

 

Livre X

Épigramme XLVII

 

Vitam quæ faciunt beatiorem

Jucundissime Martialis, hæc sunt:

 

Res non parta labore, sed relicta;
Non ingratus ager; focus perennis,
Lis nunquam; toga rara; mens quieta;
Vires ingenuæ; salubre corpus;
Prudens simplicitas; pares amici;
Convictus facilis; sine arte mensa;
Nox non ebria, sed soluta curis;
Non tristis torus, et tamen pudicus;
Somnus qui faciat breves tenebras;
Quod sis, esse velis, nihilque malis:
Summum nec metuas diem, nec optes.

 

泉さんの話を聞いての感想

先日、知人の誘いで、泉健太さんのお話を聞きに行ってきた。
初めて実物を見たけれど、さわやかな信頼できそうな人物のように感じられた。

生活者目線の、生活安全保障ということを力説していて、物価上昇への対策や、家賃補助金を出す政策などを具体的にいろいろ熱をこめて演説していた。
また、教育の無償化や、現実的で具体的な防衛政策の必要性を主張していた。
また、まっとうな政治や立憲主義・民主主義ということの大切さも訴えていた。

ただ、安倍政治との対比で、まっとうな政治や立憲主義を主張するのは一応はわかるのだけれど、岸田政権との闘い方をどうしていくのかはちょっとわかりにくかった。
岸田さんはとらえどころがなく攻めにくいという感じの話も泉さんからちょっともれていたし、再分配政策を掲げる比較的まともで穏健な岸田政権との差異化はどうも難しそうだった。
一応、岸田政権の経済安全保障ではなく立憲民主党は生活安全保障を主張するということと、国全体の経済だけではなく生活者目線に立つということをアピールし、具体的な各論でより良い政策を有権者に地道にアピールする方針なのだろう。
それはおそらくは堅実で地道な良い方策なのだろうけれど、無党派有権者にわかりやすくアピールするという要素がないため、参院選はちょっと厳しいのではないかと思えた。

あと、泉さんはせっかく良いことも言い、さわやかな好感の持てるキャラをしているのに、あんまりそれが広く伝わっていないのももったいなく思われた。
おそらく前の立憲の代表だった枝野さんの時と比べても、SNSを使った広報や波及力はぐっと弱くなっている気がする。
れいわ新選組の方が不特定多数へのSNSを使った宣伝は長けているように思われる。
自民党のような資金力を使ったネット工作ができないのはやむをえないとして、もうちょっと無党派や不特定多数へのネットを使った広報宣伝やネットワークづくりを努力した方が良いのではないかと思われた。
今日の泉さんの来福も、ほとんど関係者以外誰も知らないし、伝える努力もなされなかったのではなかろうかと思われる。
泉さんは若いのにしっかりしているし熱意ある人物だということは実物を見ると伝わってくるが、それが広く伝わらないと、良かれ悪しかれ大衆民主主義の時代においては、なかなか日の目を見ないようにも思われた。
地道で堅実な努力は大変良いが、それにプラスして岸田政権との差異化と対策を意識したイメージ戦略を工夫して欲しいと思われた。

ドラマ『オスマン帝国外伝』について

  • BS4で放映されていた『オスマン帝国外伝』のシーズン4の最終話を見た。
    シーズン4までなので、これですべて見たことになる。
    トルコでは2011年~2014年にかけて放映されたそうで、日本のBS4ではシーズン1が2019年に放映され、その時から視聴した。
    最後まで見終わると、なんとも感慨深かった。
    オスマン帝国外伝』は16世紀初頭のトルコが舞台で、主人公は皇帝のスレイマンと、その妃となったヒュッレムの二人である。
    その他に大宰相のイブラヒムなど、実在の人物たちが登場し、もちろん脚色されながらも、その数奇な人生がよく描かれていた。
    私は今までトルコや中東の時代劇はほとんど見たことがなかったが、『オスマン帝国外伝』はとても面白かった。
    このドラマの影響で、ちょっとずつだがトルコ語を勉強し始めた。
    いつかトルコに行ってみたいと思う。

    にしても、最後まで見ると、諸行無常というか、人生は苦だなぁとしみじみ思わされた。
    レイマンオスマントルコの最盛期を築いた名君で、ドラマでも寛容で公正で法を重んじ、イスラム教徒のみならず帝国の臣民としてキリスト教徒やユダヤ教徒の権利も大事に保護し、多様性を重んじた様子が描かれていた。
    また、勇敢で、帝国の版図を大いに広げた。
    そうした成功や栄光に満ちた人生のはずだったけれど、晩年は個人的には悲惨だったようである。
    皆が跡継ぎになると嘱望していた聡明な長男のムスタファを謀反の疑いでスレイマンは処刑し、ムスタファを慕っていた末っ子のジハンギルも、もともと障害があって体が弱かったこともあり、ムスタファの死のショックで死んでしまう。
    レイマンが跡継ぎにと思っていた次男のメフメトも早世するし、勇敢で人望が厚かった四男のバヤジトも謀反の疑いで結局死刑にしてしまう。
    跡を継ぐ三男のセリムは飲んだくれで酒ばかり飲んでいて、スレイマンの晩年は家庭的には極めて悲惨ななものだった様子がドラマでは描かれていた。
    また、幼い時からの最大の腹心で親友だった大宰相のイブラヒムも、スレイマン自身の決断で唐突に処刑してしまい、その後ずっと罪の意識と寂寥感に苛まれていた様子が描かれていた。
    イブラヒムは実在の人物で、奴隷の身から28歳で大宰相に成り上がり、43歳で突然処刑され、今は墓の場所もわからないそうである。
    また、スレイマンの寵妃のヒュッレムは、このドラマの主人公であり、才気と美貌を武器に奴隷の身から成りあがって、数多のライヴァルを蹴散らし、謀略の限りを尽くす悪辣な面と、不思議な愛嬌と度胸と魅力も描かれていて、スレイマンとの愛がこの物語の主旋律だったが、スレイマンよりも先にヒュッレムは病気で死んでしまう。
    結局、スレイマンは晩年は本当に孤独で、痛風による体の不調や激痛にも悩み、最後は悲惨な様子だった。
    人生というのは結局最後は、独りで死んでいかなければならないし、運命や業としか言いようのない流れにより、自分でも思ってもみなかった悪業を犯して苦しんでしまう場合もあるのだろうと、見ながらしみじみ思わされた。
    普通の庶民に生まれて家族仲良い方が、よほど幸せなんだろうなぁとあらためて思われた。
    ただ、スレイマンが他のさまざまな王朝の皇帝たちと異なって、もろもろの悲惨さにもかかわらず、魅力ある印象に残る皇帝だった側面は、ヒュッレムへの愛は真実であり、ムヒッビーという筆名で多くの詩をヒュッレムに捧げたところだと思われる。
    ヒュッレムも悪事の限りを尽くしながら、スレイマンと我が子に対しては限りない愛をそそいだところが、人間を簡単に善悪では測れないむずかしいところと言えようか。

    おそらく架空の人物と思われるが、宦官のスンビュルという人物が良い味を出していて、次々に登場人物が入れ替わる長い物語の中で、シーズン1から最後までずっと生き残って登場し続けていた。
    スンビュルは小さい頃に誘拐されて去勢されて宦官にさせられたという設定だったけれど、ジハンギルなどに対して本当に深い愛情をそそいでいる様子がよく描かれていて、『ダウントン・アビー』のカーソンと相通じるような、のちの時代から単純にははかれない深い愛情が宦官や使用人と主人の間に通う場合もあったのかなぁと思われた。
    もちろん、ほとんどはそうではなくて、単なる支配・被支配の冷たい関係が多かったのだろうけれど、諸般の事情でそうでない場合も稀にありえたのかもしれない。

    オスマン帝国外伝』の他の、トルコや中東地域の時代劇も、そのうちまたBSなどを放映して欲しいと思う。

    https://www.bs4.jp/ottoman4/

祖母と正信偈

先日、祖母の命日に、ひさしぶりに正信偈を読んだ。
祖母は若い時に父親に先立たれ、そのあと息子を幼い時に事故で失くし、弟が戦死した。
娘の一人(私の伯母)もわりと若くして亡くなったし、私の妹である孫にも先立たれたので、生きている間多くの悲しみや苦労があったと思う。
新聞や週刊誌をよく読んでいて、わりと現実的な性格だったけれど、毎朝毎夕仏壇の前で正信偈を声をあげて読んでいた。
ときどき法事の時は、阿弥陀経をお坊さんと一緒に読んでいた。
祖母が亡くなるまで、私はあんまり正信偈にも阿弥陀経にも興味がなかったので、その中のどの箇所が好きなのか聞きそびれて、はっきりどの箇所を祖母が特に愛していたのかはよくわからない。
しかし、推測で思うならば、たぶん正信偈の中の「我亦在彼摂取中、煩悩障眼雖不見、大悲無倦常照我」と、阿弥陀経では「倶会一処」が支えだったのではないかと思う。
それらの箇所にいつか何かの拍子に触れていたようなかすかな記憶があるからである。
正信偈は、もちろん親鸞の文章で、教行信証の行巻の末尾に記されている偈文で、蓮如以降浄土真宗の日常の勤行となった。
その中の、以下の箇所は、もともとは源信が『往生要集』の中に記していた文章で、少し変えて親鸞が用いている。
「われまたかの摂取のなかにあれども、煩悩、眼を障へて見たてまつらずといへども、大悲、倦きことなくしてつねにわれを照らしたまへり」
(我亦在彼摂取中、煩悩障眼雖不見、大悲無倦常照我)
おおまかな意味で言えば、
大いなるものの慈悲の中にいつもいるけれども、迷いによって目がさえぎられてはっきりとは見えない時もあるけれど、大いなるものの慈悲はいつも私を見捨てることなく照らし続けている、
という意味だろう。
また、阿弥陀経の中の「倶会一処」は、よくいろんな墓碑銘とかにも記されているけれど、「同じひとつのところで会う」という意味で、もっと言えば、先だった家族にもいつかあの世で一緒に会う、という意味だろう。
毎日正信偈を唱えていた祖母と比べて、私はめったに正信偈を開けて読むこともなく、久しぶりに目を通したけれど、上記の言葉二つは、私自身を支える言葉として、ときどきは思い出して大切にしていきたいとあらためて思った。

歎異抄第四条について

古典というのは、しばらくして読みなおすと、その時の状況によって、以前読んだ時はあんまり深く感じなかったことを感じさせられたり考えさせられたりすることがある。

私にとって、最近は歎異抄がそうだった。
特に以下の第四条がである。

「一 慈悲に聖道・浄土のかはりめあり。聖道の慈悲といふは、ものをあはれみ、かなしみ、はぐくむなり。しかれども、おもふがごとくたすけとぐること、きはめてありがたし。浄土の慈悲といふは、念仏して、いそぎ仏に成りて、大慈大悲心をもつて、おもふがごとく衆生を利益するをいふべきなり。今生に、いかにいとほし不便とおもふとも、存知のごとくたすけがたければ、この慈悲始終なし。 しかれば、念仏申すのみぞ、すゑとほりたる大慈悲心にて候ふべきと云々」

この「今生に、いかにいとほし不便とおもふとも、存知のごとくたすけがたければ、この慈悲始終なし」という箇所が特に心に響いた。
要するに、どんなにかわいそうに気の毒に思っても、助けることが難しいので、という意味だろう。

連日のウクライナの様子を伝える報道を見ていたので、この言葉がかつてないほどしみじみそのとおりに感じられた。
おそらく親鸞も、平安末期や鎌倉初期の戦争や天災などで、そのつど人々の悲惨な様子を数多く見て、なんとかしてあげたいと思いながら、ほとんど何もできない自分に心を痛めていたのだと思う。

そのうえで、歎異抄第四条の全体の意味を考えるならば、だから何もせずに念仏だけ称えてあの世で仏になりましょう、という意味というわけではないのだと思えてきた。

たぶんこの箇所が問いかけているのは、どの方向に向かって自分は生きるのか、ということなのと思う。
短い時間の単位だけを見て絶望して生きるのか。
それとも、長いスパンの時間で考えて、自分自身が少しでも将来(あの世のいのちもひっくるめて)人を助けることができるような、智慧や慈悲の方向に向かって日々に歩むのか、
という、そういう意味の問いかけなのではないかとこの箇所が思えてきた。

何かしら悲惨な状況を見て虚無に沈むのではなく、であればこそ本当の真実の生き方をしている人(それを親鸞の場合は「仏」と呼ぶわけだけど)の方向に向かって、自分自身が歩む、ということなのだと、以前は思わなかったけれど、この頃読みなおして思うようになった。

親鸞が言うところの「念仏申し」ての暮らしというのは、永遠のいのちを展望した上で日々を一歩ずつ真実の生き方に向かって歩むということなのだろうと思われる。

私が歎異抄を一番最初に読んだのはたぶん大学生の頃で、特にこの第四条の箇所は、私にとっては最も当時はつまらなく思えた謎の箇所だった。
大事なのはこの世であり、あの世のことではないだろうにと思えたからである。
しかし、多少年を重ねて、諦念が深まってくると、であればこそいのちの方向性を問う親鸞の言葉は、とてつもなく深いなぁと感じられるようになった。

花祭りの日によせて

今日は花祭りの日で、日本では仏陀釈尊の生まれた日とされる。
スリランカなどではウエサカ祭の日とされている。)


私が通った幼稚園は浄土真宗のお寺さんがやっているところだったので、そういえばかすかな記憶でお花祭りの日には甘茶を注いだり歌を歌ったような記憶がある。


そんなことを思い出しつつ、ふと、自分は仏典の中のどの言葉が好きだろうかと考えてみた。

その時々で変わるような気はするけれど、以下の華厳経の言葉がわりと好きである。
やや長いが、要するに「信」は心を澄まし、良い方向に人生を向かわせるという意味である。


「信は道の元とす、功徳の母なり。一切のもろもろの善法を長養す。疑網を断除して愛流を出で、涅槃無上道を開示せしむ。
信は垢濁の心なし。清浄にして驕慢を滅除す。恭敬の本なり。また法蔵第一の財とす。清浄の手として衆行を受く。
信はよく恵施して心に悋しむことなし。 信はよく歓喜して仏法に入る。 信はよく智功徳を増長す。信はよくかならず如来地に到る。
信は諸根をして浄明利ならしむ。信力堅固なればよく壊することなし。 信はよく永く煩悩の本を滅す。 信はよくもつぱら仏の功徳に向かへしむ。
信は境界において所着なし。諸難を遠離して無難を得しむ。 信はよく衆魔の路を超出し、無上解脱道を示現せしむ。
信は功徳のために種を壊らず。 信はよく菩提の樹を生長す。信はよく最勝智を増益す。 信はよく一切仏を示現せしむ。
このゆゑに行によりて次第を説く。 信楽、最勝にしてはなはだ得ること難し。」


上記の華厳経の言葉は、親鸞が特に愛した言葉だったらしく、教行信証の信巻に長々と丸々引用されている。
おそらく、親鸞自身を鼓舞し励まし支える言葉でもあったのだろうと思う。


「信」、つまり、この人生や世界に、何か尊いものや正しいことや信頼するに値するものがあって、この人生は何の意味もない空しい滅びではなく、生きるに値する善いものである、ということを信頼し、信じる心というのは、たしかに人を導き、守り、育むものだと思う。


おそらく、仏陀の生きた時代も、大国同士の戦争やカースト制度による差別やさまさまな不条理や苦しみがあり、何も信じれなくなった人が山のようにいたのだと思う。

仏陀の教えにはさまざまな内容があり、そのどれを特に受けとめるかで後世さまざまな宗派や教えに分岐したが、華厳経のこの箇所や、それに大きな影響を受けた親鸞などは、「信」こそが仏陀の説いたことの中で最も大切なことだと受けとめたのだと思う。
人は多少生きていれば、誰であれ悲しみや苦しみに遭う時もあり、そうでなくてもこの世の不条理や醜い様子を見聞きして、いつの間にか何かを信じる心がともすれば失われてしまうようにも思う。
しかし、人間にとって最もつらいことは、この世に何の道理もなく意味もなく、自分の命が空しく過ぎていくと感じることだと思う。


そうではなくて、この世には道理があり、人生には意味があり、意味あらしめることができると仏陀釈尊は説き、それを華厳経を後世に伝えた人や親鸞のような人は信じて、一歩前に踏み出していったということなのだろうと私は感じている。


花祭りの日なので、つらつらとそんなことを考えていると、はたして自分には何かを信じる心はあるのか疑わしい気もしてきたが、甚だ微弱でも、何も信じないよりかはこの世には道理があり、生きる意味はあるということを、信じて生きていきたいようには思えた。

怨みに報ゆるに徳を以てせよ

ロシアのウクライナに対する侵略戦争と、その結果としてのウクライナの被害や瓦礫の山を報道で見ていて、ふと思ったことがある。
日中戦争のあとの、中国はまさに今のウクライナのような目に遭いながら、「怨みに報ゆるに徳を以てせよ」と言って、日本に対する報復や賠償請求をしなかったということは、本当にすごいことだったのだなぁということである。


今のプーチンのやり口は、昭和初期の日本と不気味なほどよく似ている。
まず、戦争を戦争と呼ばずに「特別軍事作戦」と呼び、戦争ではないとしているが、これは戦争ではなく「満州事変」や「日華事変」と呼称したあの時代の日本とよく似ている。
また、一部支配地域に傀儡政権をつくったり、分離独立をさせようとしたりするやり方は、満州国や冀東防共自治政府などとよく似ている。
国際社会から経済制裁を受けて苦しんでいるあたりもよく似ている。
そこから先が似ないことを願うばかりである。


3月半ばの時点で、ウクライナは今度の戦争によるインフラの破壊などの経済的損失が七十兆円を超えると発表していた。
その見積もりはさらに増え続けているのだろう。
また首都近郊で発覚した虐殺や暴行などのロシアの戦争犯罪による被害は、金額には換算できないものである。
日中戦争における中国の損害も、戦争が長期に及んだだけに計り知れないものがあったろうとあらためて思う。


「怨みに報ゆるに徳を以てせよ」と言って対日賠償請求を放棄したのは国民党の指導者の蒋介石だった。
ただし、蒋介石の数日前に共産党周恩来が同様の方針を発表しており、蒋介石はそれに対する部分もあったのかもしれない。
どちらが先で、背後にどのような思惑があったかはともかくとして、蒋介石周恩来が日本に対する賠償請求を放棄し、報復もしなかったのは紛れもない事実である。
その後、日本がODAなどを通じて多くの経済的・技術支援を中国に行ったことも事実だが、もし巨額の賠償請求がされていた場合は、敗戦間もない頃の日本の負担や歴史のルートもかなり違っていたであろうことを考えれば、中国の寛大な態度はやはり忘れてはならぬもののように思う。


報道を見ていると、ウクライナの人々のプーチンに対する怒りや憎しみは相当なもののようである。
それは当然のことであり、同様の立場に立てば誰もが憤らずにはおれまいと思う。
そして、まだまだ戦争はずるずると続くのかもしれないし、仮に停戦がなされても、東部地域をロシアが占領したり分離独立させれば、ずっと戦争の火種はくすぶり続けるだろう。
なので、まだそのような時期ではないのかもしれないし、これはあくまで当事者が自発的に決めるべきことで、遠方の何の苦しみもなく拱手傍観している人間が言うべきことではないかもしれないが、もし停戦や戦争終結の時を迎えるのであれば、ゼレンスキーやウクライナの指導者や人々には、できれば「怨みに報ゆるに徳を以てせよ」の精神を発揮して欲しい。
それは何も中国だけの精神ではないはずで、ロシアやウクライナにとって馴染み深いはずのトルストイもまた、「善をもって悪に報いる」ことを力説していた。


とはいえ、仮にウクライナの人々がそのような超人的寛大さを仮に発揮したとしても、今の日本がほとんどかつての中国の寛大さへの感謝も持たず忘れていることを考えれば、ウクライナにそう勧めて良いのか、またロシアはろくに感謝もしないのではないかという気もしてきて、ウクライナにそんな寛大さを勧めて良いのやら躊躇されてもくる。


しかし、今後の世界が、露中対それ以外の国際社会という新たな冷戦を迎えるという予測もある中、なるべくその新冷戦が世界滅亡につながるようなひどいものにならぬように、少しでも怨みに報いるに徳を以てし、かつての友情や受けた恩義は忘れないような、そんな世の中であって欲しいものだと思う。