ガザ戦争から半年 雑感

   もうすぐガザ戦争が始まって半年になる。
 この半年間、ずっと違和感を抱いていることがある。
 それは、あまりにも日本のメディアが、また多くの人々が、パレスチナ寄りに偏向しているのではないかということである。
 もちろん、ガザの悲惨な状況を伝えることは大事である。パレスチナ人も大切な生命であることはもちろん言うまでもない。
 だが、中立あるいは日本のようにどちらの勢力とも地理的に距離のある立場から、まず確認しなくてはならないことは、パレスチナ人もイスラエル人もどちらも人権があり、どちらも大事な生命であるということである。
 ゆえに、どちらの人権にもきちんとした配慮と尊重が払われなければならないことである。

 しかし、イスラエルの人質のことは、ほとんどきちんと日本のメディアにおいて十分な注意が払われることはなく、きちんとした特集が組まれたこともない。
 いつの間にか、人質は過去の問題のような扱いすら感じる。
 だが、2023年10月7日に人質となったおよそ240人のうち、いまだに130人以上が人質の状態のままである。
 その中には、すでに死亡している人々もいるのではないかと推測されているが、100人以上が未だに人質の状態にある。
 そもそも、人質をとるのはジュネーヴ第一条約3条1項bで禁止されており、ハマスイスラエルの一般市民を人質にとっているのは明確な国際法違反で、深刻な人権侵害である。

 停戦を求め、イスラエルに抗議するデモが、日本でも欧米でも数多く行われている。
 平和を求めてそれらの声を挙げるのは良いとして、それと同程度の声が、人質解放のために本来は挙げられるべきではないか。
 アメリカ・カタール・エジプトが仲介し、一時停戦のための交渉がなされているとはいえ、今までのところ、人質全員の解放に至っていない国際社会や国連、及び諸外国の無力や力の足らなさを、人質の方々やその家族らに対して心の痛みを持って感じている人々は、戦争反対の声を挙げる人々の中にどの程度いるのか、見てていつも疑問になる。


 人質全員が解放されることが、まずは人権の要請として、また国際法上、最も重要なことである。
 そのことが、どうもあまり重視されていないように感じることに、違和感が拭えない。