先日、彼女と島根県に旅行に行き、途中島根に住んでいる友人と会った後、出雲大社に近い海沿いの温泉旅館に泊まった。
そこは、ざしきわらしが出るということで有名な旅館で、私も彼女も楽しみにしていた。
おもちゃを持参すると良いそうで、彼女は紙風船などを百均で買ってきていた。
だが結局、はっきりとはざしきわらしがいるのかどうか、よくわからなかった。
夜中にちょっと不思議な物音が窓の外で複数回したことと、窓は閉まっているのに、いつの間にか置いていた紙風船の位置が動いていたことぐらいが、多少不思議なことで、それ以上は何もなかった。
しかし、その後、不思議といえば不思議なことがあった。
ひとつは、翌日出発し、出雲大社に行った時のことである。
大きな松の並木道を通って、鳥居をくぐって、有名な社殿を見物していたら、おそらく六十代ぐらいの白髪の、目の大きな神主さんが話しかけてきた。
こっちに、と前に立って歩かれて、今はいそがしいのでまたあとで12時にここで待っていください、と会館の前のようなところに案内しておっしゃった。
理由はなんだか聞けない雰囲気だったので、特に聞かず、二時間ぐらい間があったが、その間、付近を散策し、すぐ近くのお店で食事することにした。
出雲割子そばを食べてから、また12時にそこに行ったら、すぐに神主さんがやってきて、ついてきてください、と前を歩かれた。
そうして、八足門という、一般の人はそこまでしか入れないところの入口に進んでいかれて、浄掛けという仏教の輪袈裟のようなものを私たち二人に掛けてくださり、守衛さんに何やら言うと、私たちに入るように言ってくださった。
驚きながらついていって八足門から入ると、眼の前に楼門があった。楼門より先には、出雲の国造しか入れないそうで、さすがにそれ以上は私たちは入れなかったが、楼門を目の前にし、また開いている楼門から奥の本殿の様子が間近で見れた。
貸し切り状態で、ゆっくりと通常は見れない八足門の内部を拝観させていただいた。
江戸中期頃に造られたという、国宝の神殿建築は見事だった。
楼門の前の空間は、八足門の外のにぎわいが嘘のような、しんとした静まり返った空間で、一瞬が永遠のようにも感じられた。
その後再び、ついてきてください、というので、ついていくと出口で、そこで浄掛けを回収されて、神主さんはお辞儀をしてすぐに去っていかれた。
とうとう、理由はおっしゃられなかった。
大勢の観光客が、八足門の外でお参りし観光している中で、なぜ私たちだけがその中に入れていただけたのかわからなかったが、不思議なことだった。
二つめは、そのあと、出雲大社からちょっと離れたところにある、須我神社の奥宮に行った時のことである。
そこは、昨年に光の球体のようなものが映っているという写真と文章をSNSにも書いたことがあったが、山の奥にある場所で、去年のちょうど今頃に行った。
いわゆるパワースポットで、太古から磐座として大切にされてきたスサノオゆかりの場所と伝えられる山の上の巨岩である。
去年行ったときは大勢の人がいたし、その後に見たNHKの番組では、毎日行っているという方のお話が紹介されていた。今や観光名所の一つのようである。
ところが、である。
その日の昼、須我神社の奥宮に行ったところ、直前まで大雨が降っていたせいか、人っ子ひとりいなかった。
私たちが着いた時には、ちょうど雨が止んでいて、多少道が濡れていたものの、気を付けて山を登っていったら、無事に安全に登ることができた。
道中、誰とも会わず、ついに巨岩のある場所に来ても、誰もいなかった。
しんと静まり返っていた。
その巨岩は、三つの岩があり、スサノオとその妻のクシナダヒメとそのあいだの子どものスガノユヤマヌシミナサロヒコヤシマノミコトの磐座とのことである。
やや大きなのが父親で、それより小さいが寄り添っているのが妻で、小さな岩がその子ということで、もともと大きな三つの岩があったのを、夫婦と子に見立てて古代から大切にされてきたということなのだろう。
縄文弥生の頃は文字などなかったが、このような自然の岩などを通じて、家族の理想をあらわしたり、何かしらのメッセージをそこから汲み取り、大事にしてきたのだと思われた。岩の近くには、きれいな山の清水が滾々と湧き出しているところがあり、とてもおいしかった。特定の宗教は関係なく、大自然の恵みとそれに対する応答の場のように思われた。
雨のあとのせいか、山の奥のせいか、霧のようなものがうっすらとあたりに立ち込めていて、ものすごく澄んだ清らかな雰囲気が漂っていた。
胸を打つ何かが強く感じられ、彼女もそうだったようで涙ぐんで感動していた。
とうとう、誰もそこには来ず、しばらくしてから降りていく途中に、山の入口の近くでやっと登ってくる一組の御夫婦に出会ったぐらいで、本当にずっと貸し切り状態で、ありがたいことだった。
三つめに不思議だったことは、帰路のことである。
夕方、福岡に帰ることにし、島根の津和野方面から山口に抜けていく道を、彼女と交代交代で車を運転して帰った。
ところどころ左右の田畑や山には雪がうっすらと積もっており、まだ道路が凍結していなかったので運が良かったと思いながら通過した。
山また山の道で、ところどころに小さな集落が点在していた。
雪がところどころ白く染めている幻想的な景色だった。
ときどき眠たくなったり、肩がこったが、集中して、ひたすら運転した。
津和野を抜ける途中、カトリックの聖堂を通りがかった。
なんだか光の玉みたいなのが、聖堂に出たり入ったりしているのが見えた。
ちょうど粉雪が降ってきたので、太陽の光のいたずらかと思って、さほど気に留めなかった。
それから雪がだんだん降ってきて、心配したが、なんとか無事に萩の近くの道路まで出ることができた。
結局トータルで片道六時間以上かかったが、無事に福岡にたどり着き、夜遅くに家に帰ることができた。
島根に住んでいる友人に無事に帰宅したことをメールしたら、私たちが通り過ぎたあと、すぐに津和野方面の国道や県道が雪のため通行止めになったそうで、無事に帰れたかどうか友人は随分心配していたとのことだった。
道中、間一髪で何事もなく、通行止めに遭うこともなく、無事に帰れたのも、不思議といえば不思議なことだった。
その夜、夢を見た。
私たちの道中、徒歩の時も、車で行く時も、しゃぼん玉か光の玉みたいなのが常に先導し、周囲を囲み、その数が徐々に増えたりしている夢だった。
それらは神社やお寺や教会を通る時にはそれらの場所に出たり入ったりしていて、そこで増えたり光が強くなったりしていた。
その様子を見て、世の中の宗教というのは、どれもあまり境目はなくて、どれも何かしら大きな光の貯蓄場だったり停留所だったりするらしいと思っていた。
また、ざしきわらしというのは、この光の玉の一つなのだろうとぼんやり思っていた。
起きて彼女にその夢を話すと、ぐっすり眠っていたのでほとんど夢は見ておらず何も覚えていないが、そういえばそのような夢を見たような気がする、とのことだった。
以上のことは、どれも現実的に合理的に解釈しようと思えばいくらでもできる、たいしたことのないことばかりかもしれない。
べつになんら不思議なことではないと思う人もいるかもしれない。
しかし、言葉ではうまく言えないが、私たちにはとても不思議なことだった。
無事に良い旅に行って帰ってこれたことは、ざしきわらしのおかげだったのではないかと感じている。
そういえば、もう一つ不思議なことがあった。
紙風船などを再び入れて持って帰ったバッグを、家に帰ってから開いてみたら、買った覚えもない「縁」と書かれた新品のお箸が二人分、入っていた。
彼女と、これもざしきわらしからのいただきものだと思うことにして、毎日使っている。
(以上は、エイプリルフールの虚実を織り交ぜた、旅の思い出の話です。)