義人は永遠の礎

箴言を読んでいて、以下の一節に、あらためて深く感じるものがあった。


When the storm has swept by, the wicked are gone,
but the righteous stand firm forever.
(Proverbs 10.25)


あらしが通りすぎる時、悪しき者は、もはや、いなくなり、
正しい者は永久に堅く立てられる。
箴言 第十章 第二十五節 口語訳)


神に逆らう者はつむじ風の過ぎるように消える。
神に従う人はとこしえの礎。
箴言 第十章 第二十五節 新共同訳)


嵐が過ぎる時、悪しき者はいなくなる。
しかし、義人は永遠の礎である。
箴言 第十章 第二十五節 自分訳)


カアヴォール・スファー・ヴェエン・ラシャー・ヴェツァディック・イェソッド・オラム


この世では、しばしば、悪しき者が栄え、力を振い、それがずっと続くかのように思える時がある。
しかし、それは嵐が吹けば消え去る束の間のことだと箴言は断言する。


そして、正しく生きる人こそ、永遠に残っていく礎であり、基礎なのだと。


何の基礎かといえば、それは人類の歴史や、あるいはそれぞれの民族や社会の歴史の基礎であり、またそれぞれの人の人生の基礎や魂の糧ということだろう。


リンカーンの前や後の大統領の名前は、かなりアメリカの歴史に詳しい人でなければ一般的には知らない場合が多い。
しかし、リンカーンは誰もがその名を知っている。


田中正造の頃の衆議院貴族院の政治家のほとんどは、もはや名前がほとんど一般的には忘れられてしまったが、田中正造の名を知らない人もいない。


悪しき者や不義の人間というのは、束の間のあぶくや泡みたいなものであり、その逆に、義に生きる人こそ、不滅の魂の輝きを放っていくものなのだろう。


今の日本も、あぶくのような時勢であり、あぶくのような人々をあぶくのような人々が支持している。
しかし、それらは嵐が吹けばひとたまりもなく消え去り、本当に残るのは義人だろう。


悲しいかな、凡夫はその道理がなかなかわからず、悪人が栄え、義人が苦しむのを見ると、この世には道理がないのかとすぐに気落ちし、落胆しがちである。


しかし、この箴言の言葉は、そのような心弱い愚かな者にとって、はかりしれない勇気と確信と見通しを示してくれる知恵の言葉だと思う。


今しばらくは困難な時代が続いても、それはさほど長くは続かないのだろう。