善を耕す

箴言を読んでいて、面白い箇所があった。


Do not those who plot evil go astray?
But those who plan what is good find love and faithfulness.
(Proverbs 14.22)


悪を計る者はおのれを誤るではないか、
善を計る者にはいつくしみと、まこととがある。
箴言 第十四章 第二十二節 自分訳)


罪を耕す者は必ず迷う。
善を耕す人は慈しみとまことを得る。
箴言 第十四章 第二十二節 新共同訳)


悪しきことを耕す者たちは、迷わないだろうか。
しかし、善きことを耕す者たちは、慈しみと真実を得る。
箴言 第十四章 第二十二節 自分訳)


ハロー・イトゥウー・ホレシェー・ラア・ヴェヘセッド・ヴェエメット・ホレシェー・トーヴ


この中野、「ホレシェー」という語は、「耕す」という意味らしい。
「企む」とも訳せるようだが、もともとは耕すという意味のようである。


悪しきことを耕す。
善きことを耕す。


とても面白い、そして考えさせられる表現である。


人の心は庭のようなもの。
その庭で、善きことと、悪しきことの、どちらを耕したか。
それが、結局その人の人生なのだと思う。


神や仏は、善き言葉の種は蒔いてくれる。
しかし、その蒔かれた種を育てるかどうかは、耕す側の人間の自由と責任に委ねられている。


非常に貴重な、真理の箴言だと思う。