阿比留氏のブログについて

阿比留さんのブログに、橋下さんの今回の発言について、


「諸外国では、こと国益に関することは国民が一致して外国に立ち向かうか、そうでなくても中立的になるのに、日本では国内からどんどん外国勢力に呼応する人たちが出る。これは世界でも類を見ない現象だと思う。だから、外国に負ける」


という他の方のコメントを紹介した上で、


「外国を批判するのは簡単だけど、いつも「日本の敵は日本人」だと私も思うでした。やれやれ…」


と書かれてあった。

http://www.facebook.com/search/results.php?q=%E9%98%BF%E6%AF%94%E7%95%99+%E7%91%A0%E6%AF%94&init=public#!/rui.abiru


二つの点で疑問がある。


まず、本当に諸外国で、歴史認識や政策に関して、「国民が一致」するなんてことがあっているのか。
むしろ、そんなに異論なく、議論なく一致する国の方が珍しいのではないかということが疑問でならない。


イラク戦争に際しても、当時上院議員だったオバマさんははっきり反対を表明した。
阿片戦争において、グラッドストンが反対の演説をしたことも有名。
米英をはじめ、まともな国というのは、常に多様な意見が出され、主張され、活発な議論がなされる。


異論なく、国益のためには国民が一致団結する、なんてのは北朝鮮のような全体主義国家の特色ではあるまいか。


阿比留さんや、その共鳴者が理想にするのは、どうもリベラル・デモクラシーの国ではなく、ナチス北朝鮮のような全体主義国家なのかもしれない。


次に、二番目に疑問なのは、他ならぬ阿比留さんこそが、311の大震災という未曾有の国難に際して、当時の首相に対して執拗な批判と、場合によっては誹謗中傷の類を行ってきたということだ。
国が最もまとまらねばならない時に、国家の一致団結を求めるより、不和と分裂ばかりを図ってきたのは御自身だろう。


日本人の敵は日本人とのことだが、御自身こそが日本人の敵だと、立場が違えば判断されて当然のことをやってきたわけだが、その自覚はあるのだろうか。


それでも阿比留さんのような人間が抹殺もされず、言いたい放題言えるのは、この日本における高度な人権とデモクラシーのおかげである。
これが北朝鮮や中国、あるいはロシアなどであれば、どのような目にあっていたかはおのずとわかることだろう。


意見は違っても、敵ではなく、ただの異なる意見の持ち主であり、異なる意見の持ち主とも共存して生きていくという心構えがなければ、デモクラシーなど成り立たない。


己のみを「真の日本人」とし、それに敵対するのは「日本の敵」だと断定する姿勢こそ、最もデモクラシーにとって脅威となる危険で有害な未成熟な考え方ではなかろうか。


ヒュームやバークやオルテガなどの、本当の保守主義者というのは、異なる党派との共存を力説した。
常に穏健で礼節ある国家社会を求めた。
それに対して、日本の自称保守の人々というのは、最もそうした構えから程遠いのかもしれない。