箴言を読んでいて、なるほどとうなずかされ、深く考えさせられる箇所があった。
Whoever oppresses the poor shows contempt for their Maker,
but whoever is kind to the needy honors God.
(Proverbs 14.31)
貧しい者をしいたげる者はその造り主を侮る、
乏しい者をあわれむ者は、主をうやまう。
(箴言 第十四章 第三十一節 口語訳)
弱者を虐げる者は造り主を嘲る。
造り主を尊ぶ人は乏しい人を憐れむ。
(箴言 第十四章 第三十一節 新共同訳)
貧しい人を苦しめる者は、造物主を嘲るものである。
困っている人に対して優しい者は、造物主を尊ぶものである。
(箴言 第十四章 第三十一節 自分訳)
オシェック・ダル・ヘレフ・オセーフ・ウメハベドー・ホネン・エヴヨン
貧しい人を苦しめる人は、実は神を嘲っている。
一方、困窮している人に優しい手をさしのべる人こそが、本当に神を尊び崇めている人である。
という意味だろう。
これは、しかし、よく考えれば考えるほど、すごい言葉である。
かつてのアメリカの南部においては、教会に通って讃美歌を唱える生活をしながら、日々に黒人を鞭うち虐待する人は大勢いた。
彼らはキリスト教の信仰を持っていて教会にも所属していたのだろう。
しかし、彼らは実は「神を嘲っていた」。
ひどい話もあるもので、黒人奴隷の赤ん坊を売りさばいたお金で、聖書をたくさん購入して海外の宣教用に教会に寄付し、それで善行を積んだ気になっていた白人が南部にはいたそうである。
しかし、そのような人々も、この箴言によれば、神を嘲っていたことになるだろう。
フィリピンはスペイン統治の時代、精神的にも身体的にも奴隷化され、貢税と奴隷化と強制労働の三重苦に苦しめられた。
教会は巨大な土地と特権を所有し、しばしば修道士は現地人の妾を持っていたともいう。
中には立派な聖職者もいたようで、スペインの統治の改善を求める場合もあったようだが、大半はひどい差別と抑圧の三百年間だったそうである。
彼らスペイン人の多くもまた、実は神を嘲る人々だったと言えよう。
貧しい人々や困った人々や、あるいはどのような人々も、すべて神がつくったものだと考えれば、それら神がつくったものを虐待することは、実は神を嘲ることである。
そう、箴言ははっきりと述べている。
なんとこのことを、歴史の上で、人類はしばしば忘れてきたことだろう。
仏教は、造物主の概念を説かないが、そのかわりに、いかなる生命も尊いもので、その中に仏になりうる可能性、つまり仏性があると説いてきた。
もし仮に、敵国や、あるいは植民地化した国の人々、あるいは自分の国の中の困っている人々が、神のつくったものであること、あるいは仏性を持っているものだと、本当に認識しているならば、ひどいことは決してできないと思う。
逆に言えば、貧しき人々や困っている人々に優しい心を持ち、手をさしのべる人は、いかなる人であろうと、造物主の心に沿った人であり、仏の心を実現している人と言えるのかもしれない。
ブッシュ前大統領は、後世にどちらの存在として記憶されるだろうか。
大半の人間の目には明らかではないか。
そして、そのような指導者を支持した国内外の人々は、その時の自分の判断が正しかったかどうか、よくよく省みるべき時はとっくに来ているのではないか。
私たちの世の中が、この箴言の一節の、一行目か、二行目か、どちらに相当するのかは、いつも考えチェックした方が良いのかもしれない。
もちろん、世の中の前に、自分自身がどちらの心や生き方かどうかを、何よりもまず省みるべきあることは言うまでもないことなのだろう。