Nスペ 「日本人はなぜ戦争へと向かったのか 第1回“外交敗戦”孤立への道」

昨日、再放送でNスペで「日本人はなぜ戦争へと向かったのか 第1回“外交敗戦”孤立への道」という番組があっていたので見た。
http://www.nhk.or.jp/special/onair/110109.html

なぜ先の大戦において敗戦に日本が突入したかについて、今回は開戦に突入する前の段階での日本の外交に焦点を当て、それを「外交敗戦」として描いていた。

満州事変とその後の国際連盟脱退までの過程において、常に諸外国の反応について甘い楽観的見通しばかりに基づいていた当時の日本の指導者たち。
かつ、国内の軍部や世論に迎合することばかり考えていた様子。
要するに、外部に対する希望的観測と内部の事情ばかり目を向けていた様子が描かれていた。

この番組によれば、イギリスの提示した妥協案に松岡洋右は乗ろうとしたのに、本国の内田康哉外相が妥協を拒否したそうで、それが国際連盟脱退に決定的だったようである。
また、陸軍の熱河作戦の裁可も問題だったようだ。
松岡が悪いというよりも(松岡も問題はあったのだろうけれど)、本国政府の無能無策が一番の問題だったのかもしれない。

また、国際連盟脱退後、日本は国際的孤立を脱するため、ポーランド中国国民党やイギリスなどにも働きかけ、世界的な防共協定をつくろうという構想を持っていたらしい。
しかし、外務省と陸軍と出先の外交交渉の三つがいつもちぐはぐなことばかり言い、行動するため、イギリスや国民党から不信感を持たれ、結局ドイツとのみ防共協定を単独で締結し、そのことがかえってイギリスなどの反発を買って国際的孤立を深めたということが番組で取り上げられていた。

明治のころは元老が陸軍・海軍・外務省を統括していたのが、昭和初期は政党内閣がその役割を果たすべきだったのに世論の不支持やテロによって弱体化し、いまいちその役割が果たせず、国家の中枢が存在せず各機関がばらばらに行動し、かつ国家戦略や長期的な計画が欠如していたことが、外交の迷走と外交敗戦を招いたということらしい。

なんともはや、暗澹とした気持ちになる。

そうこう考えると、今の日本も、きちんと国家戦略局を機能させることや、首相のリーダーシップなど、やはり重要なことかもしれない。

にしても、昭和初期の日本の迷走というのは、本当に学ぶべき教訓が多すぎる気がする。