バーナード・クリック 「デモクラシー」


あらためて読むと、本当にビターな味わいのある、すばらしいデモクラシーについての本だと思う。


著者が言うには、デモクラシー(民主制、民主主義)は、善き統治にとって重要な要素ではあるが、それだけで善き統治になるとは限らない。


歴史上、デモクラシーと呼ばれてきたものには大きく四つある。


1、ギリシャのデモクラシー(直接民主主義
2、ローマの共和政(混合政体。元老院と民衆の権力の混合。)
3、ルソーなどの、素朴で無知な庶民が政治参加によって道徳的になりうるし、政治参加すべきであるという思想。
4、ミルなどの、法的に保障された個人の権利と人民の権力が適度に混合された代議民主制。


それぞれかなり違うものであり、実際にどのような歴史的経緯があったかを、該博な知識とユーモアに富んだ深みのある筆致で描いている。


そして、トクヴィルを引きながら、デモクラシーにおける多数者の暴政の危険(画一性、凡庸さ、多様性・卓越性への不信など)を指揮しつつ、


中間団体・国家・個人的な権利の三者の継続的な相互作用としてデモクラシーをとらえ、中間団体の重要性を指摘し、単に個人と強力な中央集権とではデモクラシーはきちんと機能しないと述べているのは共感させられた。


さらに、本書ではなかなか辛辣にポピュリズムの危険性を指摘している。


決してデモクラシーとは、それ自体で必ずしも理想的とも善い統治になるとも言いきれず、さまざまな留保が必要な、ともすれば堕落や危険を伴いやすいものであるというわけである。


にもかかわらず、デモクラシーは専制政治全体主義よりはるかに良いと筆者は述べる。

一、デモクラシーより、専制の方が、真実を暴かれた時のリスクが大きい。
二、政府が開かれていて透明性が高いこと、情報の自由があるだけでなく、実際に情報を手に入れ流布できること。

この二つは、実際に政治に参加することと同じぐらい重要だと、筆者は述べる。


そして、末尾で、西欧における二つの大きな政治思想の流れ、つまりデモクラシーと共和主義の二つは、ある意味摩擦のあるものだが、近代デモクラシーを前提とした上で、教育によって公民的共和主義の能力を涵養し、身近な多元的な中間集団において参加の機会を得て行く道筋が語られている。


決して民主主義を理想視もせず、かといって見捨てもせず、ビターなユーモラスな、そして深みある筆致で、目指すべき善き統治とは何かを読者に道案内し、歴史の多様な要素の中から選ばせる本書は、決して初心者向けの入門書というよりは、デモクラシーについて深く考えたい人のための、かなり玄人向けの、さらなる深いデモクラシーや政治への思索の「入門書」として最適だと思う。