先の大戦の戦争犠牲者については、いろんなとらえ方がありうると思う。
それらの人々の苦難や悲しみを思い、二度と戦争を繰り返さないようにするための教訓にするということは、毎年夏に必ずよく言われることである。
あるいは、靖国や護国神社に見られるように、国家のために献身的に戦った人々に感謝の祈りを捧げるという人もいるのかもしれない。
上記のものが混ざっている場合もあるかもしれない。
以下のことは、私のあくまで思いであり、なんら客観性はないのだけれど、上記のものとは別に、「贖いの死」というとらえ方もありうるのではないかと思う。
聖書においては、「贖い」という考え方が出てくる。
つまり、罪や悪の結果は本来は苦しみや死なのだけれど、誰かが代わりに苦しんだり死んだりすると、その罪や悪の結果を当人が受けずに済む、という考えである。
旧約聖書のアザゼルの羊やイザヤ書53章に見られるし、新約聖書はイエス・キリストがそのような贖いのための犠牲だったという見方を強調している。
罪や悪の結果が苦しみや死だというのは、聖書に限らず、因果応報を説く仏教やさまざまな他の文化の宗教や道徳にも広く見られることと思う。
だが、贖いという見方は、ユダヤ・キリスト教に顕著なものであり、日本においては例外を除けば一般的にあまり共有されていない考えかもしれない。
そもそも、先の大戦については右翼を中心に、なんら日本は間違っておらず正義の戦争だった、という見方も存在する。
しかし、私は、先の大戦で多くの何の罪もない人々が苦しみ、悲しみ、亡くなったのは、贖いだったととらえる時に、はじめて納得がいくような気がした。
つまり、満州事変以来、あるいはそれ以前から、周辺諸国を侵略し、軍事力を頻繁に用い、国外においても国内においても人権をしばしば蹂躙してきた、そのような日本の罪や悪を、個々の何の罪もない庶民のさまざまな人々が、非業の死を遂げる中で、贖ってきたのではないか。
それらの人々の贖いのおかげで、正しい道から外れていた日本が、植民地を放棄し、平和と人権を大切にする方向に国が大きく変わった、正しい道に再出発するようになった。
もしそれらの多くの犠牲と悲しみがなければ、日本がそうなることはなかったのではないかと思う。
もちろん、上記の感じ方は、ぜんぜん納得がいかない人もいるかもしれない。
しかし、私は上記のように感じた時に、はじめていささか納得がいく気がした。
私の大叔父は21歳でレイテ島で戦死した。
もちろん会ったことはない。
では、私の人生に無関係な人なのかというと、決してそうではないと思う。
大叔父をはじめ多くの人々が非業の死を贖いとして遂げた、そのおかげで戦後の日本の平和があった、その贖いの死に感謝する、私たちの戦後の平和と繁栄の背後にはそういう多くの贖いがあった、そう受けとめた時に、はじめて戦後の日本の平和や自由のありがたさもよくわかるし、多くの人々の死や悲しみを無駄にせず生かしていくことができるのではないかと思う。
こうした、キリスト教の贖いの影響の強い考え方としては、戦後の日本にもしばしば見られるものであり、たとえば長崎の原爆についての永井隆の浦上燔祭論がある。
浦上燔祭論は多くの批判がのちになされてきたが、それは政治的な判断や評価と実存的な意味付けの問題を混同しているからではないかと思う。
永井隆は燔祭として、贖いの犠牲として受けとめなければ長崎の原爆犠牲者の死は全く意味がわからず、受けとめられないものだったのだと思う。
燔祭として、贖いの犠牲として受けとめた時に、言語に絶する長崎の原爆の被害を、意味あるものとして自分の人生に受け入れることができたのだと思う。
私は永井隆の浦上燔祭論は、永井隆としては他に受けとめようがないものであり、実存的ならとらえ方としてはよくわかる気がする。
とはいえ、永井のような若干の例を除けば、ユダヤ・キリスト教の影響がうすい日本においては、贖いの死として戦没者を受けとめるというのは、あまり一般的ではない受けとめ方なのだと思う。
それに、そもそもキリスト教内部においても、贖いはもっぱらキリストの十字架として語られ、他の人々にはあてはめられない場合が多いように思う。
なので、戦争被害を教訓として残すという受けとめ方と、国家のための犠牲として感謝するという受けとめ方の、いわば左派に多い前者と右派に多い後者がほとんどになるのだろう。
だが、私としては、戦没者を贖いとして受けとめる時に、はじめていろんなことが心から腑に落ちた気がした。
また、戦後にBC級戦犯として処刑された多くの人々も、多くの場合、贖いの死でもあったと思われる。
ただし、上記のことは、あくまで私自身の雑感に過ぎず、他人に押し付けるつもりは毛頭ない。
だが、自分としては上記の観点から、教訓や国家への献身ということとはまた別に、戦没者に対して感謝して、その死を無駄にせず今の日本を平和な自由な良い国にするように常に思っていきたいとは思う。