真珠湾爆撃の指揮官だった淵田美津雄と、名古屋を無差別攻撃した爆撃機の乗組員だったディシェイザーという人物についての特集番組が昨日Nスペであっていた。
二人がどのようにして憎しみを乗り越え、和解や平和を願うに至ったかが描かれてあった。
良い番組だったと思う。
ディシェイザーは、もともとは、真珠湾爆撃の復讐のために志願して軍隊に入り、名古屋爆撃のあと捕虜となり、虐待を受けて、日本に対する憎しみでいっぱいだったという。
しかし、たまたま収容所の中で親切な日本人が差し入れてくれた聖書を読み、ルカによる福音書の第二十三章三十四節の、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」という言葉に触れて、劇的な回心を遂げたそうである。
終戦後、いったんアメリカにかえって神学校で学び、牧師となって日本に来て布教に従事した。
一方、淵田は、真珠湾攻撃の英雄として戦時中は天皇に謁見し、異例の出世を遂げて参謀にまでなったが、戦後は状況が一変し、荒んだ生活をしていたところ、たまたまディシェイザーの体験記を読み、聖書を読むようになったそうである。
二か月間聖書を読みふけって、ルカ福音書の先の言葉に触れて回心し、クリスチャンになったという。
その後、二人は出会い、深い友情で結ばれたそうである。
淵田は、直接アメリカに渡り、全米各地を練り歩いて自分の体験談を話し、キリスト教の伝道を行ったそうだ。
ディシェイザーは、三十年近く日本でキリスト教の伝道に従事したあと、アメリカに帰国し、2008年に亡くなったという。
淵田もディシェイザーも、かつての時分の無知を悔い、無知や無理解から人間の間の憎しみが生じることと、それを乗り越えるために直接自分の方から出向いて、直接語り合い、お互いに理解し合いしあうことの重要性を、戦後長い間説き続けたそうだ。
二千年の月日を越えて、人の人生をかくまで変える力があるキリストの言葉と生涯に、あらためて感動させられた。
また、人間的には必ずしも完璧ではない中で、いろんな葛藤を抱えながらも、誠実に歩んだ二人の生涯は、印象深いものがあった。
いつか淵田の回想録や、ディシェイザーの関連の本も読んでみたいと思った。
日本とアメリカの戦後の歴史や関係は、こういう人々の思いや努力の上にあることも、忘れてならないのだと思う。