ブラック・アリストテレス


アリストテレスといえば、一般的なイメージでは共通善やポリス的動物ということを説いた思想家として、あるいは政体の六類型を説いた思想家としてのイメージが強い。


しかし、アリストテレスの『政治学』をよく読むと、五巻の最後の方に、マキャヴェリによく似た議論がなされている箇所がある。


というか、マキャヴェリアリストテレスの影響を受けて『君主論』を書いたとしか思えない程よく似ている箇所が多々。


アリストテレスはその箇所で、僭主制の維持のための方策を述べているのだけれど、


まず、僭主制の維持のためには、大きく二つ、伝統的方法と、もう一つの王制に近づくというやりかたがあると言う。


伝統的方法とは、


1、ですぎた者は取り除く。
2、教育や親睦を許さず、信頼関係を警戒。
3、集会を許可しない。
4、常に監視。
5、スパイ。


といったことである。


また、被治者を相互に衝突を起させる、
大規模な事業や戦争によって貧困にさせておく、
といった方策を説く。


そして、これらの方策の目的ややりかたを大きく三つにまとめている。


つまり、


一、 被支配者の心を卑小なものにしておく。
二、 被支配者が互いに不信の念を抱くようにする。
三、 被支配者に事態に対処する能力がないようにする。


の三つである。


さらに、もう一つの王制に近づくというやりかたは、


僭主の支配を望まない者も支配するための権力は維持するが、その他のことは、王の役割をたくみに演じ、なし、なしているように思わせる、ということで、


公金のことを注意深く扱っているように思われるようにし、散財を慎む。
公金の収支を説明し、徴税や公共奉仕は国の財政や有事に備える必要のためであることを明らかにする。
公共財産の警備役・出納役と思わせる。
恐怖を与えず、畏敬の念を抱かせるようにする。
軍事の力量を身に着けるように心がけ、その評判を高める。
被支配者を侮辱しない。
肉体的快楽はほどほどにし、人目につかないようにする。
国家を整備し、美しくする。
神々に敬虔であるように思わせる。かつ、愚昧な印象がないようにする。
能力を発揮した者には栄誉を与える。
栄誉は自ら与え、懲罰は法廷や他の人を通じて与える。
要職は一人に任せず、複数に与えて相互に監視させる。
権限を剥奪する時は、徐々に取り上げる。
人に対するあらゆる侮辱を慎む。
命を惜しいと思わず、激怒している人間は、最大の注意をする。
無産者と有産者の両方に、秩序の守護者として感謝させ、不正をこうむっていないと思わせる。いずれか一方が優勢ならば、優勢な方を極力味方につける。


といったことが述べられる。


また、僭主は侮られないように、畏敬の念を持たれることの必要が説かれる。


僭主の目標は明白で、僭主ではなく王であり、公金を私物化するのではなく管理者であると思わせることであり、過剰な浪費を避けて節度を求め、上流階層の人々と交際を深め、大衆を従わせる。
そうすれば、統治はすぐれたものになり、支配は長続きし、徳も良い状態か、あるいは半ば善き者になる。


ということが述べられている。


これらを読むと、マキャヴェリの『君主論』をはるか昔に先どりした要素がたくさんある。
特に、「〜のように見せかける」ということの強調は、全く似通っている。


実に、アリストテレス恐るべし、とあらためて思われた。


それにしても、


一、 被支配者の心を卑小なものにしておく。
二、 被支配者が互いに不信の念を抱くようにする。
三、 被支配者に事態に対処する能力がないようにする。


という僭主の統治方針三箇条は、歴史を見れば、成功した僭主や独裁は皆これを知ってか知らずか、きちんと実践している。
イギリスの植民地統治も見事にこの三箇条を行っているし、旧ソビエトや東欧などもこういったものだったろう。
袁世凱もそうだったと思う。


それにしても、別に僭主制の国というわけではないのに、戦後の日本はわりとこの三つが当てはまるような気がする。
ろくな公民教育や政治教育を行ってこなかったのは、この1と3だろうし、2はそれほどかつてはなかったと思うけれど、派遣と正社員の分断などは2のような気がしてきた。


では、いったい誰が日本の僭主なのだろう?
僭主制に似た民主制、ということだろうか。


非常に厄介なことだが、伝統的な僭主制のやりかたが仮に戦後の日本に浸透してきたとするならば、それを打破するには、もう一つの僭主制のやりかた、つまり王制に近づいた僭主が登場して、強力なリーダーシップを発揮する必要があるのかもしれない。
決して侮られず、適度な威厳や力を見せて、あたかも王制的であるような外観を見せて、巧みに大衆の支持を取り付ける僭主が現れないことには、なかなか日本のありかたも変わらないのかもしれない。


しかし、僭主というのは両刃の刃で、王制に近づいた僭主制になれば良いものの、なかなかそうはならず、むしろ民主制の完全なる死滅や、最悪な政治形態に陥るということになりかねない。


実に難しいことだが、現代日本を考えるには、アリストテレスのブラックな側面、『政治学』五巻の僭主論の部分をこそ、マキャヴェリも参照しながら読む必要があるのかもしれない。