アリストテレス 「哲学のすすめ」

アリストテレス「哲学のすすめ」 (講談社学術文庫)

アリストテレス「哲学のすすめ」 (講談社学術文庫)


たまたま、図書館の本棚を見ていたら、アリストテレスの『哲学のすすめ』なる本があった。


そんな本アリストテレスにあったっけ?
と思って、手にとってみると、イアンブリコスの書物の中に引用されていた箇所をもとに、近年の文献学の発達によりほぼ完全に復元された本とのことである。


古代世界ではよく読まれた本だそうで、長く失われていた本が、このような形で読めるとは、本当にありがたい。


読んでの感想は、ニコマコス倫理学に比べてとても読みやすくわかりやすいということだ。


ニコマコスはかなりの大部なので、読むのが大変だが、これなら気軽に読める。
それに、アリストテレス本人によるものだけあって、そのエッセンスがある気がする。


アリストテレスが言うには、身体や生活手段は一種の道具であり、使用方法を間違えるとかえって良くないという。
そこで、単なる奉仕するための知識ではなく、命令するための知識が必要になる。
その命令する知識が、哲学である。


理知による観照こそが、人間に最も純粋な幸せをもたらす。
それのみならず、この観照的理知による哲学こそが、何が正しいか、何が立派か、何が有益かを教えることにより、生き方や政治にも有益な知恵をもたらすという。


正しく思考する人こそが、よりいっそう生きているということになり、最も深く真理に到達する人こそが、最も生きていることになると、アリストテレスは述べる。


人間には、目覚めている人と眠っている人おり、魂を活動させている人と、ただ魂を持っているだけの人がいるが、人は哲学を通じて前者となると述べる。


私たちが政治に正しくたずさわり、私たち自身の生を有益に過ごそうとするなら、われわれは哲学をすべきである。
そうはっきりアリストテレスは述べる。


これらの主張は、とかく哲学というと、生活から程遠く、人生とは無関係と思われがちな現代日本には、かなり面白い意見のように思う。
さわやかな風が吹いてくるような文章だった。


特に、印象的だったのは、以下の文章。


「したがって、哲学が、われわれの考えるように、知恵の所持でありまたその使用であり、さらに知恵は善いもののうちの最大の類とするなら、われわれは哲学から逃げ出すべきではない。
また、われわれは、財産のためにはヘラクレスの柱にまでも航海し、数々の危険を冒しながら、他方で、理知のためにはいかなる労苦も出費も払わないということであってはならない。
またよく生きようとはしないで、ただ生きることをひたすら願い、また自分自身の意見にもとづいて多数者を評価することをしないで、ひたすら多数者の意見に追随し、また財物は追い求めるが、美しいもの、善いものにはまったく心を向けることがないというのは、奴隷のすることにほかならない。」
(28頁)


本当に、ただ多数の意見に従うのではなく、自分自身の頭で考えて、自分自身で判断して生きること。
そのことの素晴らしさとよろこびを、あの古代において、アリストテレスは高らかに説いてくれて、この本のおかげでその声を現代日本人も聞くことができるのは、本当によろこばしいありがたいことだと思う。


この本を読んだ上で、ニコマコス倫理学を読めば、より一層楽しく深く味わえるのかもしれない。