酒本雅之 「アメリカ・ルネッサンスの作家たち」


この本、うちの親の蔵書で、私が生まれる前から家にあった。


ふと手にとって読み始めたら、とても面白かった。


アメリカ・ルネサンスとは、19世紀頃のアメリカの文学の活況をあらわす言葉。


著者は、アメリカの出発点として、世界のすべてを合理的に理解できると考えたチャニングのものの見方をまず事例として挙げる。
チャニングはユニテリアンの合理主義神学の思想家だが、この世界をあくまで合理的に考え、神さえも人間性との類比から明るく考えるその世界観は、これほど合理的に楽天的に考えればさぞかし幸せだろうと思えるものだ。


だが、それに対して、ポーやホーソーンのように、この世界に不気味な「謎」や「奥ゆき」を感じる作家が現れた。
彼らは、そんなに世界は合理的なものではなく、もっと不気味な、非合理なものが奥にあると考えた。


それに対して、エマーソンは、その奥にあるものを楽天的で明るい「自然」や「神」と考え、この世界は人間の精神の象徴的な事物であり、大いなる秩序があると考えた。
ホイットマンも、似たような感覚から、楽天的にさまざまな事物を愛し、歌い上げた。


が、エマーソン自身も、晩年は必然と精神の自由のふたつの事柄を認めざるを得ず、現実の壁をやはり感じていた。
ホイットマンも、最終的には、人間の死や悲しみに直面していた。


それがメルヴィルになると「白鯨」に見られるように、現実の奥底にあるものは何か底知れない悪意を持った自然であり、その壁を突破しようとする。
が、メルヴィル自身、後期の作品は、壁の突破より、ただ現実の悪意にやられてしまう人間を描くばかりになる。


ソローは、この現実からドロップアウトして、森の中で一人住み、自分が本当に納得した生き方のみをしようとする。
そして、最終的には、自然の実相を見極めようと、極めて科学的な、また民俗学的な態度に至る。


こうしたアメリカの精神史を概括して、単なる主観主義の超越主義ではなく、実相を認識しようと努力し、そのうえで想像力によって組み替えていくことが、ソローのさらに先に展望されるということを著者は示唆していて面白かった。


私は、今までどうもエマーソンやホイットマンに心惹かれ、好きだと思いながら、どうもいまいちしっくりこないものも感じていたがなぜだったのか、この本を読んでようやく明晰に把握できた気がする。
あんまり読んだことないので、ホーソンメルヴィルも今度読んでみよう。
気質的には彼らの方が私はよくわかるのかもしれない。
ソローももっと読んでみよう。


この世界と自分との関係をどう考えるか。
そのテーマから見た時に、なんとアメリカの文学史・精神史は面白いか。
そのことに目を開かせてくれる良い一冊だった。