義人たちの子孫は報われる

箴言を読んでて、なるほどと思う箇所があった。


Be sure of this: The wicked will not go unpunished,
but those who are righteous will go free.
(Proverbs 11.21)


確かに、悪人は罰を免れない、
しかし正しい人は救を得る。
箴言 第十一章 第二十一節 口語訳)


悪人は何代経ようとも罰を逃れえず
神に従う人の子孫は免れる。
箴言 第十一章 第二十一節 新共同訳)


確実に悪人は罰を免れない。
しかし、義人たちの子孫は報われる。
箴言 第十一章 第二十一節 自分訳)


ヤッド・レヤッド・ロー・イナケー・ラア・ヴェゼラ・ツァディキーム・ニムラット


悪人には、必ず罰が下される。
正しい人とその子孫には、必ず良い報いがある。


これは、ごく当たり前のようで、繰り返し聴かされるようで、とかく今の世の人々は忘れがちな気がする。


義人の子孫は報われる、というのは、とても興味深い表現だと思う。


おそらく、義人の子孫を神が守り良い恵みを与えてくれるという意味なのだと思うが、と同時に、義人の生涯はそれ自体として、子孫の人々に大きな恵みや幸福の源になるものなのだと思う。


考えてみれば、今の世を生きる我々も、多くの過去の義人たちのおかげで、このように生きていることができているのだと思う。


田中正造や、あるいは水俣病訴訟などに苦労した人々がいなければ、自然破壊はもっとひどいことになっていたかもしれない。
もちろん、日本国内だけでなく、海外におけるレイチェル・カーソンのような人々のおかげも大きいだろう。


憲法や人権にしても、国内・国外を含めて、多くの義人たちの努力があったからだと思う。


一方、一人悪人がいれば、その人自身も罰を免れないとして、ひどい場合には社会や国家に甚大な被害や悪影響をもたらしてしまう場合もあるのだろう。


人間というのは、孤立した存在ではなく、同時代においても、また未来に対しても、各自、大なり小なり、なんらかの影響を及ぼしていく存在なのだと思う。


子孫たちに報いや恵みをもたらすような、そのような生涯を心がけたいものだと思うし、そのように生きることができてこそ、人の生きた意味や生きがいというのもあるのではないかと思う。