敵が飢えているならばパンを食べさせてあげなさい

箴言を読んでいると、しばしばずんと心にしみる言葉があるが、この言葉もそうだ。


If your enemy is hungry, give him food to eat;
if he is thirsty, give him water to drink.
(Proverbs 25.21)


もしあなたのあだが飢えているならば、パンを与えて食べさせ、
もしかわいているならば水を与えて飲ませよ。
箴言 第二十五章 第二十一節 口語訳)


あなたを憎む者が飢えているならパンを与えよ。
渇いているなら水を飲ませよ。
箴言 第二十五章 第二十一節 新共同訳)


もし、あなたの敵が飢えているならば、パンを食べさせてあげなさい。
そして、もし彼が渇いているならば、水を飲ませてあげなさい。
箴言 第二十五章 第二十一節 自分訳)


イム・ラエヴ・ソナアハー・ハアヒレーフ・ラーヘム・ヴェイム・ツァメー・ハシュケーフ・マイム


箴言のこの一節を読めば、私も含めて多くの人が、福音書におけるイエス・キリストの生き方と言葉を連想せざるを得ないだろう。


特に、このルカによる福音書の第六章第二十七から第三十六節は、完全に箴言のこの一節と響き合っていると思う。


「しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。
悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。
あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない。
求める者には、だれにでも与えなさい。あなたの持ち物を奪う者から取り返そうとしてはならない。
人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。
自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか。罪人でも、愛してくれる人を愛している。
また、自分によくしてくれる人に善いことをしたところで、どんな恵みがあろうか。罪人でも同じことをしている。
返してもらうことを当てにして貸したところで、どんな恵みがあろうか。罪人さえ、同じものを返してもらおうとして、罪人に貸すのである。
しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。
あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。」


人はこれらの言葉に触れた時に、深い感銘や感動を覚えるのと同時に、はたして人の世で本当に実行できるのか、戸惑いや疑問も感じることがある。


だが、歴史においては、しばしばこの実践や実行を見ることもある。


エスがもちろんその実例だったことも確かだが、他にも多くの事例がある。


最近読んだ、鎌田実さんが文章を書いている絵本『アハメドくんのいのちのリレー』は、実話を元にしてあった。
それは、イスラエルの兵士に狙撃されて脳死になったパレスチナ人の少年の家族が、臓器提供を決断し、その結果、ユダヤ人の少女をはじめ、複数の人の命が助かったという話だった。
その少年、およびその遺族は、明らかにこの箴言の、また福音書の、言葉や精神の実行者だと思う。


また、よく知られている話だが、サンフランシスコ講和会議で、スリランカの代表が、仏陀の語録集である『ダンマパダ』(法句経)の、


「実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。」


という一節を引用し、日本に対する賠償請求権を放棄し、その結果、他の諸国の日本に対する態度もだいぶやわらげられたものになり、無事に日本が講和締結できたという話も有名である。


敗戦の時点においても、中国で蒋介石周恩来が「怨みに報いるに徳を以てせよ」と説いて、降伏した日本軍の一般兵士や民間人に対し報復や強制労働などをソビエトと異なりさせることもなく、比較的早期に日本に引き上げができたことも、この一例と思う。


日本もまた、戦後は多くのODAを中国やアジア・アフリカ諸国に行ってきた。
しばしば、中国等の一部の人々は日本に対する敵意や怨みをむき出しにすることがあったことを考えれば、これもまた、その一例と言えるのかもしれない。


もし本当に誇るべき歴史があるとすれば、この箴言の一節に沿ったことであり、恥ずべき歴史というのはその逆なのだと思う。


映画『ベン・ハー』の中で、自分を奴隷の境遇に追い込み、家族も悲惨な境遇に追いやった、元親友のメッサーラに対して復讐の炎を燃え立たせる主人公のベンハーに、東方の三博士の一人のバルタザールが、「裁きは神がなすことで、あなたがやろうとしてはならない。」ということを言うシーンがある。
二十年ぐらい前に一度見た時も心にひっかかるシーンだったが、先日久しぶりに見直した時も、あらためてあれこれ考えさせられた。


自分としては、この箴言福音書のような精神に努力し、あとは天のはからいに委ねるというのが、本当の賢者というものなのだろう。


私はまだ煩悩具足の凡夫で、到底この境涯には達しきれないが、せめてもこれらの言葉を仰ぐことは忘れないようにしたいと思う。