泣けるゲームの話

昔、某ゲームのストーリーに、けっこう泣かされたことがある。


いくつかの物語がつまっていたのだけれど、そのうちのひとつはこんな話だった。


ある少女キャラが、せっせとラッキーアイテムを集めている。


はじめは単にラッキーアイテムが好きなんだろうぐらいに思っていたのだが、実は世界の破滅をもたらす魔王を封印するために、自分の持っている幸運すべてと引き換えに、強力な破壊神に魔王の封印をお願いするために、せっせと幸運を蓄積しているのだった。


で、幸運を蓄積した甲斐もあり、無事に封印は成功するが、副作用が強すぎて、その少女は死にかけることになる。


主人公や他のキャラや、その他の人々が、ちょっとずつ自分の幸運を手放して、不幸になることを自発的に引き受け、そのうえで魔王みたい敵キャラも倒し、それでなんとか無事に少女は助かる、というストーリーだった。


誰かがどかっと不幸をしょいこんだり、幸運を一人だけが手放すのではなく、大勢の人間がちょっとずつ自発的に自分の幸福を手放し、不運を覚悟の上でみんなでちょっとずつしょいこむと、そのおかげで、誰かの命も助かるし、世界全体も救われる、というのは、よくできたストーリーだったと思う。


実際、今の日本も、そういう心構えが必要な気がする。
膨大な財政赤字社会保障の伸び続ける給付をどうにかするためには、負担の分かち合いしかない。
それで、自分だけは負担は嫌だと言っていれば、結局は共倒れになるし、誰かが確実に死んでいくことになるのだろう。


ゲームというのは、意外とよくできているものだと思う。


また、そのゲームの中の、あんまり重要ではない筋の中に、ある人物に助けられた燕が、人間に姿を変えて感謝の思いを告げに来る物語があった。
燕が変身した美少女は、生きる意味とは何なのか?とその人物に尋ね、たとえ短い人生であろうと、心をこめて人を愛し、愛されれば、その人生には意味があったと思う、と答える。
それを聴いて、その燕は満足して死んでいく、という話だった。


ゲームのシナリオつくる人ってのは、たいしたもんだなぁと思う。