命の木に連なり育てること

箴言を読んでいると元気になる気がするが、以下の一節も、読むと元気になる気がする不思議な一節である。


The fruit of the righteous is a tree of life,
and the one who is wise saves lives.
(Proverbs 11.30)


正しい者の結ぶ実は命の木である、
不法な者は人の命をとる。
箴言 第十一章 第三十節 口語訳)


神に従う人の結ぶ実は命の木となる。
知恵ある人は多くの魂をとらえる。
箴言 第十一章 第三十節 新共同訳)


義人の果実は命の木。
そして、賢者はもろもろの魂を救う。
箴言 第十一章 第三十節 自分訳)


ペリー・ツァディック・エッツ・ハイーム・ヴェロケアハ・ネファショット・ハハム


義に生きる人は、命の木のように命に満ちた人生が結果としてもたらされる。
そして、知恵のある人は、さまざまな他の人々の心や魂を助け、良い方向に導くことができる。
そういう意味だろう。


不義に生きた人は、一時的には栄えても、結果として命が枯れていくのだと思う。
また、知恵のない人というのは、他の人々を助けることができない。


いかなる人が義人か、いかなることが知恵ということなのかは、箴言が言葉を尽してさまざまに語っていることであるし、聖書全篇を通じて語られていることである。
人類のさまざまな古典も、結局は、義と知恵を教えてくれるものなのかもしれない。


なかなか愚かな迷い多き身ではあるが、結果として命の樹に連なるような、自分に命の木が育っていくような、そういう生き方をしたい.
できれば、自他ともに良い方向に導いていくことができるように、知恵を常に愛し、知恵の言葉に耳を傾ける人生を心がけたい。
そう、この言葉を読むと、あらためて思わされる。