雑感 リンカーン的なデモクラシーの有無

リンカーンを思うと、自分の運命は不遇だとか、運に恵まれてないと愚痴を言うのはやめようという気持ちになる。
いかなる逆境からでも、努力次第で人間は何でもできることを教えてもらえる気がする。
歴史上にはしばしばそういう人物がいる。


日本も、実業家などでは、貧しい身の上から己の実力だけでのしあがった人物がいる。
ただ、政治の世界ではどうも少ないようで、豊臣秀吉田中角栄など、ごく少ない名前が浮かぶのみ。
しかも、それらの人の多くは、言葉の力や人格の力というよりは、金の力や世渡り上手でのし上がったパターンが多いようである。


その点、アメリカでは、言葉と人格の力で大統領にまでなった事例がいくつかある。
もっとも、それほど多いわけではなく、顕著な事例としては、やはりリンカーンオバマさんが筆頭だろう。


リンカーンオバマさんばかりは、言葉の力と人格の力だけによって、大統領にまでなったわけで、本当に大したものだと思う。
言葉と人格が力を持つということを、あの二人を見ているとひしひしと感じる。
そして、本当のデモクラシーというのは、言葉と人格に本当の力を与えることができるものなのだろう。


その点、日本はどうも、言霊の幸はふ国と言われていたはずなのに、どうも言葉の力と人格の力でのし上がった政治家というのは、ほとんどいない。
今や、政治家の多くは、ほとんど名望家やなんらかのエリート出身だ。
その点、菅さんや野田さんは珍しいタイプだった。
そして、相対的に見れば、二人ともわりと弁が立つ方だったが、もう少し言霊の力を首相の時に発揮して国民に発信してもらいたかった気がする。


もっとも、政治家の言葉の力だけでなく、それを受けとめる国民の側の「聞く力」がないと、デモクラシーは機能しないのかもしれない。
リンカーンオバマさんを信託したアメリカの国民こそが、本当は最も偉大なのかもしれない。
日本は、いったいどれほど、政治家の言葉にきちんと耳を傾けているのかは、政治家を批判する前にまず問われるべき事柄かもしれない。


リンカーンのように、何のバックもない人物を、ただ言葉の力と人格の力によって支持し、大統領にまで押し上げるような力を、私たち日本の国民はいつか持つことができるだろうか。