伝・源信   三尊来迎和讃

源信の作と伝えられる「三尊来迎和讃」(来迎和讃)をタイピングしてみた。
今までネット上にはテキストはなかった模様。

これも不思議な、美しい和讃と思う。

源信の作かどうかはわからないけれども、こういう中世・近世の和讃は、とても美しくて深みがあると思う。
日本の大事な伝統・文化だと思う。



伝・源信   三尊来迎和讃


摂取不捨の光明は  念ずるところを照らすなり
観音・勢至の来迎は  声をたずねて迎うなり
娑婆の世界を厭うべし  厭えば苦海を渡りなん
安養界をば願うべし   願えば浄土に生まるべし
草の庵は静かにて   八功徳池に心澄み
夕べの嵐音なくて   七重宝樹に渡るなり
臨命終の時至り   正念違わず西に向き
頭を傾け手を合わせ  いよいよ浄土を欣求せん
聞けば西方界のそら   伎楽歌詠ほのかなり
見ればみどりの山の端に  光雲遥かにかがやけり
この時身心やすくして   念仏三昧現前し
毫光わが身を照らしつつ  無始の罪障消滅す
光雲ようやく近づきて  瞻仰すれば阿弥陀
相好円満したまいて   金山王のごとくなり
烏瑟(うひつ)たかく現れて  晴れの天(そら)にぞ緑なり
白毫右にめぐりてぞ   眉の間にかがやけり
管弦歌舞の菩薩がた   雲に袖をひるがやし
持幡供花(じばんくけ)の荘厳は  風に任せて乱れたり
観音・勢至・諸菩薩は  光りのうちに満ちみてり
おのおの威徳あらわれて   声々行者を誉めたまう
眼(まなこ)に満てる慈悲の色   落つる涙もとどまらず
耳に聞ゆるのりの声   歓喜の心いくばくぞ
すなわち紫雲たなびきて  柴の戸ぼそにたちめぐり
恒沙の衆会もろともに  前後左右に降りたまう
庵のうちには諸化仏   星をつらねて影向し
苔のにわには諸聖衆  光を並べて長跪せり
伎楽の菩薩もこの時に   踊躍歓喜やすからず
絲竹のしらべ雲を分け  徘徊よそおい地を照らす
ときに大悲観世音  漸く歩みちかづきて
紫磨黄金の身を屈(まげ)て  蓮台かたぶけ寄せたまう
つぎに勢至大薩埵   聖衆同時に讃嘆し
大定智悲の手を延べて  行者の頭(こうべ)をなでたまう
遂に引接したまいて   金蓮台にのせたまう
輪廻生死のふるき里   この時永く隔たりぬ
すなわち金蓮台に乗り  仏のうしろに随いて
須臾の間をふるほどに  安養浄土に往生をす
昔は大悲の利益をば  わずかに伝え聞きしかど
今は阿弥陀の引接を  心のままに蒙れり
しかるに弥陀の浄土は   快楽(けらく)不退のところにて
寿命も無量に長ければ  楽しみ尽くることぞなき
三十二相そなわりて   荘厳端正(たんじょう)殊妙(しゅみょう)なり
六通三明さとり得て   心のごとく自在なり
上(かみ)は有頂の雲のうえ  下(しも)は無間の底までも
苦海の郡類(ぐんるい)ことごとく   利益(りやく)普くほどこせり
願わくば弥陀・観音   行者の誓いを憫念し
大悲誓願あやまたず  来迎引接たれたまい
願わくばこの功徳を  普く衆生に施して
同じく心を起しつつ  安楽国に往生せん