先日、祖母の命日に、ひさしぶりに正信偈を読んだ。
祖母は若い時に父親に先立たれ、そのあと息子を幼い時に事故で失くし、弟が戦死した。
娘の一人(私の伯母)もわりと若くして亡くなったし、私の妹である孫にも先立たれたので、生きている間多くの悲しみや苦労があったと思う。
新聞や週刊誌をよく読んでいて、わりと現実的な性格だったけれど、毎朝毎夕仏壇の前で正信偈を声をあげて読んでいた。
ときどき法事の時は、阿弥陀経をお坊さんと一緒に読んでいた。
祖母が亡くなるまで、私はあんまり正信偈にも阿弥陀経にも興味がなかったので、その中のどの箇所が好きなのか聞きそびれて、はっきりどの箇所を祖母が特に愛していたのかはよくわからない。
しかし、推測で思うならば、たぶん正信偈の中の「我亦在彼摂取中、煩悩障眼雖不見、大悲無倦常照我」と、阿弥陀経では「倶会一処」が支えだったのではないかと思う。
それらの箇所にいつか何かの拍子に触れていたようなかすかな記憶があるからである。
正信偈は、もちろん親鸞の文章で、教行信証の行巻の末尾に記されている偈文で、蓮如以降浄土真宗の日常の勤行となった。
その中の、以下の箇所は、もともとは源信が『往生要集』の中に記していた文章で、少し変えて親鸞が用いている。
「われまたかの摂取のなかにあれども、煩悩、眼を障へて見たてまつらずといへども、大悲、倦きことなくしてつねにわれを照らしたまへり」
(我亦在彼摂取中、煩悩障眼雖不見、大悲無倦常照我)
おおまかな意味で言えば、
大いなるものの慈悲の中にいつもいるけれども、迷いによって目がさえぎられてはっきりとは見えない時もあるけれど、大いなるものの慈悲はいつも私を見捨てることなく照らし続けている、
という意味だろう。
また、阿弥陀経の中の「倶会一処」は、よくいろんな墓碑銘とかにも記されているけれど、「同じひとつのところで会う」という意味で、もっと言えば、先だった家族にもいつかあの世で一緒に会う、という意味だろう。
毎日正信偈を唱えていた祖母と比べて、私はめったに正信偈を開けて読むこともなく、久しぶりに目を通したけれど、上記の言葉二つは、私自身を支える言葉として、ときどきは思い出して大切にしていきたいとあらためて思った。