父方の祖母のこと

今日はうちの父方の祖母の祥月命日。
丸四年になる。
朝から正信偈を唱えた。


祖母は、おおらかでいつもにこにこしていて、「自然」(じねん)ということを体現しているような人だった。
これといって、念仏や浄土真宗について語ることはほとんどなかったけれど、小さい頃は近所のお寺の手伝いなども折々にしていたそうで、滋子(しげこ)という名前だったので、正信偈の「南無不可思議光」のところが「なむふかしげこ」に聞えるとよく他の子どもたちから言われたと笑いながら思い出を語ってくれたことがある。


庭の畑で里芋などを育てては、よく送ってくれたが、どれもとてもおいしかった。
コツを聞くと、特に何というコツはなくて、自然に育つもんなぁ〜、とのどかに言っていた。


たぶん、うちの祖母みたいな、のどかで素朴で自然な感じの人々が、昔は日本や東洋の農村にはよくいたのだろうと思う。
道教浄土真宗というのは、たぶんそういう風土があってこそのものだったんだろうと思う。
だんだんと、そうした自然な良さは、時代とともにわかりにくくなってきてしまったような気もするけれど、私にとって父方の祖母は、いかなる言葉よりもわかりやすく、そのような「自然」(じねん)を教えてくれていた。
今になってそのことがよく思われる。


老子』を読んでいると、私にとっては、この父方の祖母のことが思われてならない。
小賢しく本ばかり読んで小難しく考える私などがはるかに及ばない、本当の善良さというものが、祖母や祖母以上の世代の田舎の素朴な人々にはあったのだろうと、この頃あらためて思う。