今日は母方の祖母の命日。
もう九年になる。
祖母は、とてもしっかりしていて、気丈な性格だった。
しかし、その人生の間に、弟にも、息子にも、夫にも、娘にも、孫にも、妹にも、先立たれた。
どれもさぞかしつらく悲しい別れだったろうと思う。
祖母は、毎日必ず、朝夕、仏壇で正信偈と念仏を称えていた。
その背中を見て、なんとなく、小さい頃から私も正信偈や念仏は尊いものだと思ったものである。
私が正信偈や念仏の意味がある程度わかるようになったのは、恥ずかしながら祖母が往生した後だった。
祖母の縁あればこそ、自分も仏法を聴き、念仏を申す身になったのだと思う。
苦労の多い人生だったと思うが、戦前の人というのは、本当にしっかりしたものだったと、祖母を思うたびに思う。
母方の祖父は私が生れる前に亡くなっていたので会ったことはない。
母方の祖父母は、若い時は祖父の仕事の関係で北京に七年間住んでいて、北京の一等地で良い暮らしをしていたそうだが、敗戦で何もかも失い、ほとんど身一つで引き揚げてきた。
そのあと、祖父は何人かの友人と事業を始めて、それなりに軌道に乗って、またそれなりに裕福になったそうだけれど、さぞかし敗戦の直後は大変だったと思う。
戦前戦中戦後を生きた人は、誰もが大変な思いをし、誰もがとてつもない忍耐をし、誰もが一つのドラマや小説になる人生を生きたのだと思うけれど、祖母もまた、ごく普通の庶民だったが、そのような一人だったのだと思う。
どうも私はすぐに音をあげたくなり、へこたれることが多いのだが、祖母や祖父たちを思うと、これしきのことで音をあげていたらいけないなぁと反省させられる。
いかに多くの苦しみや悲しみがあろうと、念仏や正信偈があれば、生き抜いていけるということを、祖母は身を以て示してくれたのだと、今にして思う。