祖父から聴いた十二月八日開戦の日の思い出

亡くなった祖父が、生前話してくれたこと。


祖父は中国戦線にずっと行っていた。


真珠湾攻撃があった日には、部隊に集合がかかってみんな整列し、本日米英と戦闘状態に入った、ということが上官から伝えられたそうである。


異様な緊張感がはりつめていたそうだ。


古参兵だった祖父とその戦友たちは、


「中国だけでもらちがあかんのに、米英とおっぱじめるとは、これはもう俺たちはいよいよ生きては帰れんぞ」


と話し合ったそうである。


本を読んだり、戦争を回顧するテレビ番組などを見ていると、真珠湾攻撃の成功に日本国中が浮かれて、知識人たちもすがすがしい気持ちになって万歳したという話をよく聞く。


たしかに、そうした面もあったのだろうが、祖父たちのように、もう長く戦場に駆り出されていた兵隊たちの感想は、とてもそんな昂揚したものではなく、このようなものだったらしい。


たぶん、現場から離れるほどに人間は万事観念的になるもので、現場にいればあまり難しいことは知らなくてもごく常識的に案外と醒めた眼で物事が見れるのかもしれない。


真珠湾攻撃に浮かれていた知識人たちよりは、たぶんうちのじいちゃんたちの方がよく物事が見えていたように思われる。


真珠湾攻撃について、あるいは先の大戦全体について、今もってさまざまなものの見方があり、汲み取るべき教訓もさまざまにあって、とても一言では言い尽くせないのかもしれない。


ただ、私は、うちの祖父が、日本国中が開戦の昂揚と熱狂に包まれていた時に、ごく自然に醒めた目で、うんざりと眺めて、それをごく自然に周囲と話し合えたような、そういう感覚を、大事にしたいなぁとこの頃思う。


ちなみに、うちの祖父は、日本が敗戦となった時は、これからどうなるのかと大変不安になったそうだ。
よく、敗戦でほっとしたとか、これで終わったと安心した、あるいは悔し泣きした、という話は聞くが、これからどうなるのかと甚だ心配になったという話は、ありそうであんまり聴かない話である。
けれども、たぶん、それが本当のところだったはずのように思われる。


開戦にしろ、敗戦にしろ、どうもマスコミや指導者や知識人というのは、案外と先のことを考えない人々が多いように思われる。
ムードに流されて、先のことを考えないことによる弊害こそ、あの時代の日本から一番汲み取るべき教訓のような気もする。


案外と、あんまりマスコミや知識人に惑わされない庶民の感覚の方が、醒めており妥当な場合もあるような気がする。
ただ、それを言葉に出して発信しないと、せっかくの言論の自由も、あまり良く使いこなせていないということにはなるのかもしれない。


「しかたない」とか「これが時勢だ」という日本人によくある態度は、要するに流れやムードに簡単にのるということなのだと思う。
そうではなくて、何事もムードや流れからちょっと醒めた目で眺めることが、万事に大事なことのようにこの頃あらためて思う。