雑感 「海ゆかば」

海ゆかば」をふと聴きたくなって、youtubeで聴いてみた。

誰かがそこに、軍歌ではなく鎮魂歌だ、とコメントしていたけれど、本当にそうだと思う。

勇ましい軍歌では少しもなく、静かな、悲しい曲だと思う。

このような歌が軍歌として当時歌われたことが、なんとも日本は不思議な国だと思う。
アメリカのヤンキー・ドゥードルやリパブリック賛歌の明るさ、あるいは繊細な神経のみじんもない鈍感さと比べて、なんと「海ゆかば」は繊細で哀しい歌なのだろう。
語弊を恐れずに言うならば、もう全く勝つことを考えていない、負けを前提にした戦争の歌だと思う。

そう、たぶん、「海ゆかば」がこんなにも美しく悲しいのは、そこに諦念と滅びの美学が満ちているからなのだろうと思う。

日本は、平家物語の平家や、太平記南朝方や、幕末・維新の会津彰義隊のような、滅びの美学がどこかしら精神の中に脈々と流れてきた。

第二次大戦の、ある種の海軍の軍人や、特攻隊や、「海ゆかば」も、その系譜の極みなのかもしれない。

なので、日本人であれば、やはり誰でも胸を打たれるし、限りなく美しく悲しいものだと感じるのだと思う。
むげに突き放すことができない、尊いものがそこにあるのだと思う。

だが、しかし、あえて言うならば、それを十二分に踏まえた上で、やはり若者たちにこのような思いや死をさせない責任が、本当は政治や社会の指導者層や知識人や分別や思慮のある大人たちにはあったはずである。

たしかに、ABCD包囲網ハルノートで日本が追い詰められた面もあった。
だが、そこまで追い詰められる段階に至るまでに、いくつもの選択肢が日本には長い年月の間にあったはずである。
思慮を欠いた、無責任な政治や戦争のツケが、「水漬く屍」「草生す屍」だったことを忘れてはならない。

十二月八日は、無責任な政治のツケは、「水漬く屍」「草生す屍」となりうることを胸に刻み、二度とそれを繰り返してはならないように思い返す日であるべきなのかもしれない。

そして、たぶん、大事なことは、忘却でもなく、自己賛美や自己陶酔でもなく、己だけでなく他者の悲しみをも思いやる心を育むことなのだろうと思う。

西日本新聞の朝刊のコラムに載っていた、真珠湾攻撃を指揮した淵田中佐のその後のエピソードはとても胸打たれる話だった。
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/276747

我々は、はかりしれない数の、無数の日米やその他の国々の「水漬く屍」「草生す屍」の上に、何を築き、何を育むのか。
たぶん、忘却は何も築かず、愚行を繰り返すだけであり、何かしら救いや希望の芽を育むことができるのは、この悲しみを忘れず、それを何か良い方向に転じていく努力をする時だけなのだろうと思う。



海ゆかば

歌詞:大伴家持 作曲:信時潔

海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね)
山行かば 草生(くさむ)す屍
大君の 辺にこそ死なめ
かへりみはせじ