乃木将軍について 雑感


昨日、NHKドラマ「坂の上の雲」がちょうど旅順攻防戦だった。
それを見ていて、あらためて思った。


乃木さんの抱えていたものの重さや苦しみは、本当にはかりしれなかったろう。


大本営は現場を知らずに勝手なことを言うばかりで、現場の苦しみを一身に背負っていたのは乃木さんだった。
乃木さんを罵る人も多いが、私は本当に立派な人物だったと思う。


と、ふと気になって、ネットで乃木さんについての情報を検索していたら、なんとyoutubeに乃木将軍の肉声を録音したものの動画があった。


「乃木将軍の肉声と其憶出」
http://www.youtube.com/watch?v=22BIBWtXxnU&feature=share


乃木希典の声の録音が残っているとは・・・。
この動画の、二分五十秒を過ぎたあたりから、ほんの一言だけ乃木将軍の肉声が流れる。たしかに、篤実な人柄を彷彿とさせる声という気がする。


ともかく、乃木さんは、篤実な人柄だったのだろうと思う。


さまざまなエピソードを聞いていても、乃木希典奥保鞏が部下の将兵の死に心を痛め、ずっとその心の痛みを抱えて生きていたのと比べて、昭和の軍人に部下の将兵の死をなんとも思わずむやみな戦死を命じた参謀や指揮官が多かったことには、なんとも暗澹たる思いがする。
もちろん、昭和の軍人にも立派な人もいただろうけれど、一方で将兵たちの命をなんとも思わず、机上の数字と同じように思っていた軍人が多かったのも事実と思う。
その点、明治もそういう軍人もいたのかもしれないけれど、乃木さんや奥将軍らが重要な地位にいたということは、昭和よりも明治の戦争の方が結果として成功できたことの一つの要因だったような気がする。
そうした上に立つ人々の資質の違いは、たぶん教養や教育の違いが大きかったのだろうし、生育環境の違いがあったのだろうと思われる。


乃木や奥保鞏のあのストイックな生き方というのは本当にすごかったと思う。
多くの兵士たちが命令一下突撃していったのは、乃木や奥の日頃のありかたに全幅の信頼と尊敬を持っていたからなのだろう。
命がけの本当の指揮官でなければ人はついてこない。
今の日本の指導者達は、その点どうなのだろう。


旅順要塞をめぐる戦闘というのは、鉄条網と機関銃を相手にした戦闘だったわけで、第一次大戦西部戦線を先取りしたものだったのだと思う。
ただ、そのことへの反省や重みを、どれほどその後の日本や世界が受けとめたのかはかなり疑問。
戦勝の美名のもとに、苦悩や重みは忘れられていったのかもしれない。


乃木希典萩の乱で弟が戦死し叔父は自刃。
日露戦争では息子が二人戦死。
身内をなくす気持ちというのは、なくした人間にしかわからない、自分自身の一部が死ぬようなものだが、いかばかりの心中だったかと思う。
観念で人の死や痛みを数字としてしかわからない者との違いはそこから来ていたのだろうか。


以前、下関にある乃木希典の旧宅と乃木神社の宝物館に行ったことがあるが、あの言いようのない「重苦しさ」といえばいいのだろうか、「厳粛さ」といえばいいのだろうか、あの重さは、良かれ悪しかれ、ちょっと戦後の日本にはないものの気がする。
良かれ悪しかれ、あれが武士道というものなのだろう。


乃木さんという人物は、やはり日本人にとって、心のどこかにひっかかる存在と言えばいいのだろうか。
その重さといい、功罪の評価の分かれ方といい、いわゆる単純に英雄とも言えず、単純にののしるわけにもいかず、扱いや評価の難しい、不思議な人物だと思う。
たぶん、その理由は、あの時代の日本の悲しさを具現した人物だからなのだろう。