千観上人 極楽国弥陀和讃

千観上人の「極楽国弥陀和讃」をタイピングしてみた。
これもいままでネット上にテキストがなかった模様。

千観上人は十世紀の比叡山出身の念仏者。
尊い人物だったらしい。





千観上人 「極楽国弥陀和讃」


娑婆の界(さかい)の西の方  十万億の国すぎて
浄土はありつ極楽界   仏はいます阿弥陀
七重行樹かげ清く   八功徳水池すみて
苦・空・無我の波唱え  常・楽・我・浄の風吹きて
天の音楽雲にうつ  黄金の沙(すな)地にしきて
昼夜六時に迎えつつ  宝の蓮(はちす)雨ふりて
孔雀・鸚鵡(おうむ)の声々に  妙法門をとなうれば
衆生聞く者おのずから  仏・法・僧を念ずなり
仏の光きわもなく  聖(ひじり)の寿(いのち)はかりなし
誓いは四十八大願   心一子の大慈悲は
十悪・五逆・謗法等  極重最下の罪人も
一たび南無と称うれば  引接(いんじょう)さだめて疑わず
浄土十方おおけれど   極楽われら縁ふかし
仏は三世に在(まし)ませど  弥陀は我等に契(ちぎり)あり
一日二日の真心に  弥陀の御名をし称うれば
大悲の誓いあやまたず  九品蓮台さだまれり
生れ生るる人はみな  菩提不退の菩薩衆は
一生補処のその中に  算数(さんじゅ)も算(かぞ)え知りがたし
我らがこの身楽しまん  弥陀の誓いに救われて
来世は蓮(はちす)の上にして  この身は聖(ひじり)を友とする
人身ふたたび受け難(がた)し  仏教あう事稀なるに
みな人心ひとつにて  弥陀にはつかえ奉れ
望みの位春の夢  楽しみさかえ水の泡
はしり求めてなすほどに  わが身三途に落ちぬべし
三途に入りと入りぬれば  無量劫にも出でがたし
たまたま人の身を受けて  栄花ののぞみまたふかし
およそ輪廻のきわ無きは  このこと一つによりてなり
弥陀の誓いの無かりせば  我らは浮かむ時なけん
釈迦牟尼仏この由(よし)を  説きおきたまわずなるならば
多くの生死過ごしきて  長夜の闇に迷いけむ
帰命頂礼釈迦尊  五濁悪世の能化の主
大悲我らを捨てずして  三途の苦しみぬき給う
帰命頂礼弥陀尊  極楽界会(ごくらくかいえ)の能化の主
たとい罪業重くとも  引摂(いんじょう)かならず垂れ給え