「文殊和讃」
一切菩薩の上首なる 智慧の主(つかさ)の文殊師利
仏種を紹隆する故に 法王子とぞ名づけたる
三世諸仏の大覚母 化他も自行も信行智
三徳具足の文殊師利 法王子とぞ申しける
釈迦牟尼如来のたまわく われいま仏をえたること
皆これ文殊の師恩なり 文殊を師とせぬ仏ぞ無き
三世諸仏の正覚も 十方如来の発心も
皆これ文殊の教化ぞと 心地観経にとき給う
文殊妙徳曼殊師利 妙首敬首妙吉祥
普首濡首いずれも異名にて その名に利益を現せり
文殊の過去の仏名は 大智大身上尊王
歓喜蔵摩尼昇仙仏 未来は普見如来なり
妙吉祥の菩薩とは 三世覚母の文殊なり
苦海を彼岸に至らしめ 阿の字の門にぞ入らしむる
大聖文殊菩薩は 十方諸仏の師範なり
常に憶念する人は 善知識にぞ逢いにける
如来普賢にのたまわく 王舎城会のそのなかに
大慈大悲のわが本師 文殊菩薩のましませり
文殊は過去の大導師 三世諸仏の智慧を生む
母と言わるる薩埵にて 行化をたすけたまいけり
菩薩・声聞・辟支仏 種々の身形現して
文殊童子の守護利益 善男善女に被らしむ
あらぱしゃのうの大神咒 一切功徳円満し
如来の智にも入らしむる 如来の慧にも入らしむる
文殊五字の咒を誦せば 現身智弁を獲得し
始成正覚法門の 功徳は行者に満足す
大吉祥の文殊師利 恩徳広大不思議にて
世に現在の父母の 小児よ憐れむ如くなり
文殊菩薩の利益には 女人も男子と成らしめて
即ち菩提を成せしめ 終に涅槃に至らしむ
西南方の文殊師利 利剣を取りて諸戯をたつ
ちくまんの種子真言は 諸経陀羅尼を含蔵す
妙吉祥の大菩薩 金剛手王にとも成りて
戒定智悲の行者には 魔事も鬼神も無からしむ
仏道中の父母は 文殊般若の実智なり
菩薩この世に出でしとき 十種の瑞相現じける
不可得吾我のあまの種子 般若の徳海標しつつ
自然の空点そなわりて 文殊の証悟現せり
文殊菩薩の密号に 無戯論如来と言う時は
八不の利剣振いつつ 心の妄執きりたまう
文殊菩薩の指授により もうあい難き師を尋ね
念仏法門ひらきたる 善財童子ぞ殊勝なる
極楽国のごとくとて 瑠璃光仏土をとげるにも
文殊のみ名を十余遍 たびを重ねて告げたまう
千手千眼観世音 本師阿弥陀念ぜよと
すすめたまえる会座にても 文殊菩薩ぞ上首なる
如意虚空蔵経陀羅尼 衆人愛敬悉地にも
不成正覚ちかうにも 文殊菩薩ぞ上首なる
大荒神の顕現に 護法善神如意宝珠
天女の演説する時も 文殊菩薩ぞ上首なる
仏滅後にも出現し 雪山五百の仙人に
十二部経を宣説し 舎利をとどめて済度せり
子を連れ犬ひき子をはらむ 貧女きたりて大斎会
平等ならぬを誡むる 貧女は文殊化現なり
文殊の浄土五台山 有漏三界の内ながら
異香も薫じ鐘もなる 人間になき花このみ
文殊は清涼五台山 ともなう菩薩数千万
霊瑞不思議の有様を 誠の信者は拝むなり
法照禅師後善導 末世の要法問えりしに
文殊答えて弥陀仏の 願力難思を頼めとぞ
清涼山の文殊師利 慈覚に声明伝えしむ
そのとき弥陀の来現を うつしとどめて真如堂
大原山の良忍の あびらうんけんしやらくたん
八字文殊の修力には 石も獅子とぞ変じける
筑紫鹿崎匈当は 文殊にくすり与えられ
ひとつは大聖菩薩丸 鈍根利根に転じける
日本大江定基は 五台の文殊を拝むとき
出離の道を尋ねれば 南無阿弥陀仏をとなえしむ
弥陀の因位の無上念 太子千人ましまして
一二は観音勢至なり 三男文殊となりたまう
勢至念仏円通も 観音耳根円通も
文殊大士の判断は 仏意の浅深知られけり
文殊菩薩摩訶薩は 面見阿弥陀と発願し
安楽国にゆきしぞと 教主世尊は説きたまう
超八醍醐の法華経も 一乗無上の弥陀経も
一代殊勝の会座は皆 文殊菩薩ぞ上首なる