「伽耶山頂経」(文殊師利問菩提経)

この数日、ちょっとずつタイピングしてきたのだけれど、「伽耶山頂経」の書下し文を入力し終わった。
伽耶山頂経は、別名を文殊師利問菩提経といい、文殊菩薩が月浄光徳という神さまのかなりしつこい質問にも、目のさめるような明晰な答えをしていくという、なかなか面白いお経である。


経の最後で、釈尊がこの経を菩薩の「本業道」、つまり根本である行為の道、と言っているので、本当はもっと重視されて良いお経だと思う。


今まで、ネット上には書下し文がなかったので(書下しどころかほとんど一部分もなかったようだが)、多少は私のネット写経も意味があろうかと思う。



伽耶山頂経」(別名:文殊師利問菩提経)


元魏天竺三藏菩提流支訳


是くの如く我れ聞けり。一時、婆伽婆は、伽耶城・伽耶山頂の、初めて菩提を得たまえる塔に住しぬ。
千人に満ち足る大比丘衆と倶なりき。其れは先には悉く是れ編髮の梵志たり。まさに作すべきことを作し已え、所作已に弁ず。重擔を棄捨し、己利を逮得し、諸もろの有結を尽くす。正智の心、解脱を得。一切の心、自在を得。已に彼岸に到り、皆な是れ阿羅漢なり。諸もろの菩薩摩訶薩は無量無辺なり。皆な十方世界より来集し、大威徳有り。
皆な諸もろの忍、諸もろの陀羅尼、諸もろの深三昧を得、諸もろの神通を具す。其の名を曰く、文殊師利菩薩、観世音菩薩、得大勢菩薩、香象菩薩、勇施菩薩、勇修行智菩薩等にして、上首と為(せ)り。是くの如くの諸もろの菩薩摩訶薩、其の数無量なり。
并(ならび)に諸もろの天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅緊那羅摩睺羅伽・人・非人等の大衆囲繞せり。


爾(そ)の時、世尊は独り静かにして人無く、諸仏甚深の三昧に入り、法界を観察して是の念を作(な)せり。
「我れ阿耨多羅三藐三菩提を得、一切の智慧を得たり。所作已に弁じ、諸もろの重擔を除き、諸もろの有の険道を度(わた)れり。無明を滅し、真明を得る。諸もろの箭を抜き、渇愛を断ず。法の船を成し、法鼓を撃ち、法螺を吹き、法幢を建つ。生死の種を転じて涅槃の性を示す。邪道を閉塞し、正路を開く。諸もろの罪の田を離れ、福田を示す。我れ今、当に彼の法を観ずべし。誰れか阿耨多羅三藐三菩提を得るや。何等の智を以て阿耨多羅三藐三菩提を得るや。何者か是の阿耨多羅三藐三菩提法を所証するや。身を以て得るを為すや。心を以て得るを為すや。若し身を以て得ば、身は則ち知無く覚無く、草の如く木の如く塊の如く影の如く、識知する所無し。四大の所造にして、父母に従(よ)りて生ず。其の性は無常なり。仮に衣服・飲食・臥具・澡浴を以て而して存立を得るとも、此の法は必らず敗壊し磨滅するに帰す。若し心を以て得ば、心は則ち幻の如く衆(もろもろ)の縁に従(よ)りて生ず。処無く、相無く、物無く、所有無し。菩提は但だ名字有るのみ、世俗の故に説く。声無く、色無く、成無く、行無く、入無し。見るべからず、依るべからず、去来の道は断ぜり。諸もろの言説を過ぎて三界を出づ。見無く、聞無く、覚無く、著無く、観無く、戯論を離れ、諍うこと無く、示すこと無し。観るべからず、見るべからず。響無く、字無く、言語の道を離る。如是に能く菩提を証する者は、何等の智を以て菩提を証する者なるか。菩提の法を所証する者は、如是に諸もろの法は但だ名字のみ有りて但だ仮名を説くのみにして、但だ和合して名を説くのみなり。世俗に依りて名を説く。分別無くして分別を説き、仮りの成は、成無くして、物無く、物を離れ、取無く、説くべからず。彼の処に著すること無く、人の証する無く、証を用いる所無く、亦た証すべき法も無し。如是に通達す。是れ則ち名づけて阿耨多羅三藐三菩提を得と為(す)。異なること無く、異なることを離れ、菩提の相無し。


爾の時、文殊師利法王子、大衆の中に在りて仏の右面に立ち、大宝蓋を執りて以って仏の上を覆えり。時に文殊師利は黙して世尊の念ずる所は是くの如くなるを知り、即ち仏に白して言わく、


「世尊よ、若し菩提は如是の相ならば、善男子・善女人は云何(いか)んが菩提において発心し住せんや。」


仏、文殊師利に告げたまう。


「善男子・善女人は、応に彼の如き菩提の相にして発心し住すべし。」


文殊師利の言く、


「世尊よ、菩提の相は当に云何(いか)んが知るべきや。」


仏、文殊師利に告げたまう。


「菩提の相は、三界を出づ。一切の世俗の名字や語言を過ぎ、一切の響きを過ぎ、心の発(おこ)ることの発する無く、諸もろの発を滅す。是れ発菩提心に住するなり。是の故に、文殊師利よ、諸もろの菩薩摩訶薩は一切の発を過ぎて是の発心に住す。文殊師利よ、発すること無きは、是れ発菩提心に住するなり。文殊師利よ、発菩提心とは、物の発すること無く住することなり。是れ発菩提心に住するなり。文殊師利よ、発菩提心とは、障礙無きに住することなり。是れ発菩提心に住するなり。文殊師利よ、発菩提心とは、法性の如くに住するなり。是れ発菩提心に住するなり。文殊師利よ、発菩提心とは、一切の法に執著せざることなり。是れ発菩提心に住するなり。文殊師利よ、発菩提心とは、破壊せざること実際の如し。是れ発菩提心に住するなり。文殊師利よ、発菩提心とは、移らず、益(ま)さず、異ならず、一ならず。是れ発菩提心に住するなり。文殊師利よ、発菩提心とは、鏡中の像の如く、熱き時の炎の如し。影の如く、響きの如く、虚空の如く、水中の月の如し。まさに如是に発菩提心に住すべし。」


爾の時、会中に天子有り、名づけて月浄光徳といい、不退の阿耨多羅三藐三菩提心を得。文殊師利に問いて言く、
「諸もろの菩薩摩訶薩は初め何の法を観るが故に菩薩行を行ずるや。何の法に依るが故に菩薩行を行ずるや。」


文殊師利、答えて言く、
「天子よ、諸もろの菩薩摩訶薩は、大悲を以て行じ、諸もろの衆生の為を本と為(す)。」


天子、又た文殊師利に問う、
「諸もろの菩薩摩訶薩の大悲は、何を以て本と為(す)か。」


文殊師利、答えて言く、
「天子よ、諸もろの菩薩摩訶薩の大悲は、直心を以て本とす。」


天子、又た文殊師利に問う、
「諸もろの菩薩摩訶薩の直心は、何を以て本とすか。」


文殊師利、答えて言く、
「天子よ、諸もろの菩薩摩訶薩の直心は、一切衆生において平等心を以(もち)いるを本とす。」


天子、又た文殊師利に問う、
「諸もろの菩薩摩訶薩の一切衆生において平等心を以(もち)いるは、何を以て本とすか。」


文殊師利、答えて言く、
「天子よ、諸もろの菩薩摩訶薩の一切衆生において平等心なるは、異なること無く離るること無き行を以て本とす。」


天子、又た文殊師利に問う、
「諸もろの菩薩摩訶薩の、異なること無く離るること無き行は何を以て本とすか。」


文殊師利、答えて言く、
「天子よ、諸もろの菩薩摩訶薩の異なること無く離るること無き行は、深き浄らかな心を以て本とす。」


天子、又た文殊師利に問う、
「諸もろの菩薩摩訶薩の深き浄らかな心は、何を以て本とすか。」


文殊師利、答えて言く、
「天子よ、諸もろの菩薩摩訶薩の深き浄らかな心は、阿耨多羅三藐三菩提心を以て本とす。」


天子、又た文殊師利に問う、
「諸もろの菩薩摩訶薩の阿耨多羅三藐三菩提心は何を以て本とすか。」


文殊師利、答えて言く、
「天子よ、諸もろの菩薩摩訶薩の阿耨多羅三藐三菩提心は、六波羅蜜を以て本とす。」


天子、又た文殊師利に問う、
「諸もろの菩薩摩訶薩六波羅蜜は、何を以て本とすか。」


文殊師利、答えて言く、
「天子よ、諸もろの菩薩摩訶薩六波羅蜜は方便の慧を以て本とす。」


天子、又た文殊師利に問う、
「諸もろの菩薩摩訶薩の方便の慧は、何を以て本とすか。」


文殊師利、答えて言く、
「天子よ、諸もろの菩薩摩訶薩の方便の慧は、不放逸を以て本とす。」


天子、又た文殊師利に問う、
「諸もろの菩薩摩訶薩の不放逸は、何を以て本とすか。」


文殊師利、答えて言く、
「天子よ、諸もろの菩薩摩訶薩の不放逸は三善行を以て本とす。」


天子、又た文殊師利に問う、
「諸もろの菩薩摩訶薩の三善行は、何を以て本とすか。」


文殊師利、答えて言く、
「天子よ、諸もろの菩薩摩訶薩の三善行は、十善業の道を以て本とす。」


天子、又た文殊師利に問う、
「諸もろの菩薩摩訶薩の十善業の道は、何を以て本とすか。」


文殊師利、答えて言く、
「天子よ、諸もろの菩薩摩訶薩の十善業の道は、持戒を以て本とす。」


天子、又た文殊師利に問う、
「諸もろの菩薩摩訶薩持戒は、何を以て本とすか。」


文殊師利、答えて言く、
「天子よ、諸もろの菩薩摩訶薩持戒は、正憶念を以て本とす。」


天子、又た文殊師利に問う、
「諸もろの菩薩摩訶薩の正憶念は何を以て本とすか。」


文殊師利、答えて言く、
「天子よ、諸もろの菩薩摩訶薩の正憶念は正観を以て本とす。」


天子、又た文殊師利に問う、
「諸もろの菩薩摩訶薩の正観は、何を以て本とすか。」


文殊師利、答えて言く、
「天子よ、諸もろの菩薩摩訶薩の正観は、堅念不忘を以て本とす。」


天子、又た文殊師利に問う、
「諸もろの菩薩摩訶薩は幾種の心有って能く因を成就し、能く果を成就するや。」


文殊師利、答えて言く、
「天子よ、諸もろの菩薩摩訶薩は四種の心有って、能く因を成就し、能く果を成就す。何等をか四とす。一は初発心。二は行発心。三は不退発心。四は一生補処発心なり。
復た次に天子よ、初発心とは、種子を種(う)えるが如し。第二の行発心とは、芽の生じて増長するが如し。第三の不退発心とは、茎や葉や華や果の初始(はじめ)て成就するが如し。第四の一生補処発心とは、果等の有用なるが如し。復た次に天子よ、初発心とは、車匠の材を集める智の如し。第二の行発心とは、材木を斫治し浄むる智の如し。第三の不退発心とは、材木を安施する智の如し。第四の一生補処発心とは、車成りて運載するの智の如し。
復た次に天子よ、初発心とは、月が始めに生ずるが如し。第二の行発心とは、月の五日なるが如し。第三の不退発心とは、月の十日なるが如し。第四の一生補処発心とは、月の十四日なるが如し。如来智慧は月の十五日なるが如し。
復た次に、天子よ、諸(初)発心は、能く声聞地を過ぐ。第二の行発心は、能く辟支仏地を過ぐ。第三の不退発心は、能く不定地を過ぐ。第四の一生補処発心は、定地に安住す。復た次に、天子よ、初発心は初章の智を学ぶが如し。第二の行発心は、諸章を差別する智の如し。第三の不退発心は、算数の智の如し。第四の一生補処発心は、諸論に通達する智の如し。
復た次に、天子よ、初発心は因に従(よ)って生ず。第二の行発心は智によって生ず。第三の不退発心は断によって生ず。第四の一生補処発心は果によって生ず。
復た次に、天子よ、初発心は因の摂するところなり。第二の行発心は智の摂するところなり。第三の不退発心は断の摂するところなり。第四の一生補処発心は果の摂するところなり。
復た次に、天子よ、初発心は因生ずるなり。第二の行発心は智生ずるなり。第三の不退発心は断生ずるなり。第四の一生補処発心は果生ずるなり。
復た次に、天子よ、初発心は因の差別分なり。第二の行発心は智の差別分なり。第三の不退発心は断の差別分なり。第四の一生補処発心は果の差別分なり。
復た次に、天子よ、初発心は薬草を取るの方便の如し。第二の行発心は薬草を分別するの方便の如し。第三の不退発心は病みて薬を服するの方便の如し。第四の一生補処発心は病の差(いえ)るを得るの方便の如し。
復た次に、天子よ、初発心は法王の家の生ずるを学ぶ。第二の行発心は、法王の法を学ぶ。第三の不退発心は、能く法王の法を学ぶを具足す。第四の一生補処発心は、法王の法を学び、能く自在を得。」


爾の時、大衆の中に天子有り、名づけて定光明主といい、阿耨多羅三藐三菩提心より不退なり。時に、定光明主天子、文殊師利法王子に問うて言く、
「何等か是れ諸もろの菩薩摩訶薩の畢竟の略道なりや、諸もろの菩薩摩訶薩は是の略道を以(もち)いて、疾く阿耨多羅三藐三菩提を得しや。」


文殊師利答えて言く、
「天子よ、諸もろの菩薩摩訶薩の略道に二種あり。諸もろの菩薩摩訶薩は是の二道を以(もち)いて、疾く阿耨多羅三藐三菩提を得。
何等をか二とす。一は方便の道なり。二は慧の道なり。
方便は、善を摂する法を知るなり。智慧は、如実に諸法を知る智なり。又た、方便は諸もろの衆生を観、智慧は諸もろの法を離れるの智なり。又た、方便は諸法の相応を知り、智慧は諸法の不相応を知るの智なり。又た、方便は因の道を観、智慧は因を滅するの道の智なり。又た、方便は諸法の差別を知り、智慧は諸法の無差別を知るの智なり。又た、方便は仏土を荘厳し、智慧は仏土を荘厳するに平等にして無差別なる智なり。又た、方便は衆生の諸根の行に入り、智慧衆生を見ざるの智なり。又た、方便は道場に至るを得、智慧は能く一切に仏の菩提法を証するの智なり。
復た次に、天子よ、諸もろの菩薩摩訶薩は、復た二種の略道有り。諸もろの菩薩摩訶薩は是(こ)の二道を以(もち)いて、疾く阿耨多羅三藐三菩提を得。何等をか二と為(す)。一は助道。二は断道なり。助道とは、五波羅蜜なり。断道とは、般若波羅蜜なり。復た二種の略道有り。何等をか二とす。一は有礙道なり。二は無礙道なり。有礙道とは、五波羅蜜なり。無礙道とは、般若波羅蜜なり。復た二種の略道有り。何等をか二とす。一は有漏道なり。二は無漏道なり。有漏道とは、五波羅蜜なり。無漏道とは、般若波羅蜜なり。復た二種の略道有り。何等をか二とす。一は有量道なり。二は無量道なり。有量道とは、取相分別なり。無量道とは、不取相分別なり。復た二種の略道有り。何等をか二とす。一は智道なり。二は断道なり。智道とは、謂ゆる初地より乃至七地なり。断道とは、謂ゆる八地より乃至十地なり。」


爾の時、会中に菩薩摩訶薩有り、名づけて勇修行智という。文殊師利法王子に問いて言く、
「何をか菩薩摩訶薩の義と謂うか。何をか菩薩摩訶薩の智と謂うか。」


文殊師利、答えて言く、
「善男子よ、義を名づけて不相応といい、智を名づけて相応という。」


勇修行智菩薩、言く、
文殊師利よ、何をか義を名づけて不相応というか。何をか智を名づけて相応というか。」


文殊師利、言く、
「善男子よ、義を名づけて無為という。彼の義は一法も共に相応すること有ること無く、一法も共に相応せざること有ること無し。何を以っての故に。変わること無く、相無きを以ての故なり。義とは、一法も共に相応する有ること無く、一法も共に相応せざること有ること無し。本を以て義を成就せざる故なり。是の故に一法も共に相応する有ること無く、一法も共に相応せざる有ること無し。義とは、移らず益(ま)さず。一法も共に相応する有ること無く、一法も共に相応せざる有ること無き故に。
善男子よ、智とは、名づけて道なり。道とは、心の共に相応し、不相応に非ざるものなり。善男子よ、是の義を以ての故に、智は名づけて相応にして、不相応に非ずという。
復た次に、善男子よ、智とは名づけて、断相応という。是の故に、善男子よ、智とは名づけて、相応の法にして、不相応の法に非ずというなり。
復た次に、善男子よ、智とは名づけて、五陰・十二入・十八界・十二因縁・是処非処を善観することという。善男子よ、是の義を以ての故に、智とは名づけて、相応にして、不相応に非ずという。
復た次に、善男子よ、諸もろの菩薩摩訶薩は十種の智有り。何等をか十とう。一は因智。二は果智。三は義智。四は方便智。五は慧智。六は摂智。七は波羅蜜智。八は大悲智。九は教化衆生智。十は不著一切法智なり。善男子よ、是れを名づけて諸もろの菩薩摩訶薩の十種の智という。
復た次に、善男子よ、諸もろの菩薩摩訶薩は十種の発有り。何等をか十とす。一は身発、一切衆生の身業を清浄ならしめんと欲する故なり。二は口発、一切衆生の口業を清浄ならしめんと欲する故なり。三は意発、一切衆生の意業を清浄ならしめんと欲する故なり。四は内発、一切諸衆生を虚妄分別せざるを以ての故なり。五は外発、一切衆生において平等行を以(もち)いる故なり。六は智発、仏智清浄を具足することを以ての故なり。七は清浄国土発、一切諸仏の国土の功徳荘厳を示すを以ての故なり。八は教化衆生発、一切の煩悩の病と薬を知るを以ての故なり。九は実発、定聚を成就するを以ての故なり。十は無為智満足心発、一切三界に著せざるを以ての故なり。善男子よ、是れを名づけて諸もろの菩薩摩訶薩の十種の発という。
復た次に、善男子よ、諸もろの菩薩摩訶薩は十種の行有り。何等をか十とす。一は波羅蜜行。二は摂事行。三は慧行。四は方便行。五は大悲行。六は慧法を求助するの行。七は智法を求助するの行。八は心清浄の行。九は観諸諦の行。十は一切の愛と不愛の事における不貪著の行なり。善男子よ、是れを名づけて諸もろの菩薩摩訶薩の十種の行という。
復た次に、善男子よ、諸もろの菩薩摩訶薩は、十一種の無尽観有り。何等を十一とす。一は身無尽観。二は事無尽観。三は煩悩無尽観。四は法無尽観。五は愛無尽観。六は見無尽観。七は助道無尽観。八は取無尽観。九は不著無尽観。十は相応無尽観。十一は道場智性無尽観なり。善男子よ、是れを名づけて諸もろの菩薩摩訶薩の十一種の無尽観という。
復た次に、善男子よ、諸もろの菩薩摩訶薩は十種の対治法有り。何等をか十とす。一は対治慳貪心、布施の雨を雨(ふら)す故なり。二は対治破戒心、身口意業の三法の清浄の故なり。三は対治瞋恚心、清浄の大慈悲を修行するが故なり。四は対治懈怠心、諸もろの仏法を求めて疲倦無き故なり。五は対治不善覚観心、禅定を得て解脱し奮迅自在なるが故なり。六は対治愚痴心、決定して慧の方便を助くるの法を生ずるが故なり。七は対治諸煩悩心、道を助くるの法を生ずるが故なり。八は対治顛倒道集、実諦の助道を集め不顛倒の道を生じるが故なり。九は対治不自在心、法の時と非時の自在を得るが故なり。十は対治有我相、諸法の無我を観ずるが故なり。善男子よ、是れを名づけて、諸もろの菩薩摩訶薩、十種の対治の法という。
復た次に、善男子よ、諸もろの菩薩摩訶薩は十種の寂静地有り。何等をか十とす。一は身寂静、三種の身不善業を離れるを以ての故なり。二者は寂静、四種の口業を清浄にするを以ての故なり。三は心寂静、三種の意悪行を離れるを以ての故なり。四は内寂静、自身に著せざるを以ての故なり。五は外境界寂静、一切法に著せざるを以ての故なり。六は智功徳寂静、道に著せざるを以ての故なり。七は勝寂静、如実に聖なる地を観ずるを以ての故なり。八は未来際寂静、彼岸の慧の助行以ての故なり。九は所行世事寂静、誑一切衆生を誑かさざるを以ての故なり。十は不惜身心寂静、大慈悲心を以て一切衆生を教化するが故なり。善男子よ、是れを名づけて諸もろの菩薩摩訶薩の十種の寂静地という。
復た次に、善男子よ、諸もろの菩薩摩訶薩は如実修行して菩提を得るなり。不如実修行にして菩提を得るに非ざるなり。善男子よ、云何(いか)んが名づけて諸もろの菩薩摩訶薩の如実修行というや。善男子よ、如実修行とは、如説に能く行うが故なり。不如実修行とは、但だ言説有るのみにして、如実修行すること能(あた)わざるが故なり。
復た次に、善男子よ、諸もろの菩薩摩訶薩は復た二種の如実修行有り。何等をか二とす。一は智の如実修行の道なり。二は断の如実修行の道なり。善男子よ、是れを名づけて諸もろの菩薩摩訶薩の二種の如実修行という。
復た次に、善男子よ、諸もろの菩薩摩訶薩は復た二種の如実修行有り。何等をか二とす。一は調伏自身の如実修行なり。二は教化衆生の如実修行なり。善男子よ、是れを名づけて諸もろの菩薩摩訶薩の二種の如実修行という。
復た次に、善男子よ、諸もろの菩薩摩訶薩は復た二種の如実修行有り。何等をか二とす。一は功用智の如実修行なり。二は無功用智の如実修行なり。善男子よ、是れを名づけて諸もろの菩薩摩訶薩の二種の如実修行という。
復た次に、善男子よ、諸もろの菩薩摩訶薩は復た二種の如実修行有り。何等をか二とす。一は善く諸地を分別することを知るの如実修行なり。二は善く諸地の無差別の方便を知るの如実修行なり。善男子よ、是れを名づけて諸もろの菩薩摩訶薩の二種の如実修行という。
復た次に、善男子よ、諸もろの菩薩摩訶薩は復た二種の如実修行有り。何等をか二とす。一は諸地の過ちを離るるの如実修行なり。二は善く地を知り地の方便を転ずるの如実修行なり。善男子よ、是れを名づけて諸もろの菩薩摩訶薩の二種の如実修行という。
復た次に、善男子よ、諸もろの菩薩摩訶薩は復た二種の如実修行有り。何等をか二とす。一は能く声聞・辟支仏の地を説くの如実修行なり。二は善く仏の菩提の不退転の方便を知るの如実修行なり。善男子よ、是れを名づけて諸もろの菩薩摩訶薩の二種の如実修行という。
善男子よ、諸もろの菩薩摩訶薩は是くの如き等の無量無辺の如実修行有り。諸もろの菩薩摩訶薩は、応(まさ)に是くの如く学び如実修行すべし。諸もろの菩薩摩訶薩、若し能く如是に如実修行せば、速やかに阿耨多羅三藐三菩提を得こと、以って難しとせず。」


爾の時、仏、文殊師利法王子を讃じて言く、
「善き哉、善き哉、文殊師利よ、汝、今、善く能く諸もろの菩薩摩訶薩の為に本業道を説けり。誠に汝の所説の如し。」
是の法を説きし時、十千の菩薩は無生法忍を得り。文殊師利法王子等、一切世間の天・人・阿修羅等は仏の所説を聞きて、皆な大いに歓喜し信受し奉行せり。



伽耶山頂経