現代語私訳 橋本左内 『啓発録』 第二章 「気概を発揮する」

現代語私訳 橋本左内 『啓発録』 第二章 「気概を発揮する」



「気概」とは、人に負けたくないという心があり、恥や辱めを受けることを無念に思うというところから起こる、いわば意地を張ることです。
気概を「発揮」するとは、自分こそはと心を強く持って、心を奮い立て奮い起し、心が怠けたり油断したりしないように努力するという意味です。
この「気概」というものは、いのちある者には皆備わっているものであり、動物にさえあるものです。動物であっても、非常に強い気概を持つ時には、人間に危害を与えたり、人間を苦しめることがあります。ましてや、人間に関しては言うまでもないことです。
人間の中でも、武士は一番この気概を強く持っている者です。そのため、世間ではこれを「士気」(武士の気概)と呼び、どれほど年の若い者に対してでさえ、二本の刀を腰に帯びている者には無礼なことはしないのは、この「士気」を恐れているということであり、その人の武術や力量や身分のみを恐れているというものではありません。


そうであるのに、平和な世の中が長く続き、武士の気風が軟弱で人にへつらうものに陥ってしまい、武士の家に生れながら武道を忘れ果て、地位を望み、異性と遊ぶことを好み、利益にばかり走り、勢力の強い者にばかり従うという事に耽っています。
ですので、先に述べた、人に負けまいとし、恥や辱めを受けたら黙っていないという、雄々しい男らしい心がなくなって鈍ってしまい、腰にこそ二本の刀を帯びているものの、大きな荷物を担いだ商人や、樽を担いでいる樽拾いの仕事の人よりも意気地が劣っていて、急に雷の音を聴いたり、犬が吠えるのを聴いてもたじろぐということになってしまっています。本当に嘆かわしい限りです。


そうであっても、今の世の中でまだ武士が尊敬され、都市の住民や農民たちが「お侍さま」と呼んでくれるのは、全く武士が武士であるから尊敬しているのではなく、藩の主君の権威権力を恐れて服従しているので、仕方がなく形式ばかり敬っているわけです。
その証拠は、昔の武士は日常生活では鋤や鍬の農具を持ち、土を耕しておりましたが、いつも恥や辱めがいかなるものかを知り、人の下には屈することがない逞しい者でした。
ですので、一旦有事の際となれば、皇室や幕府の将軍などから召集がかかれば、すぐに鋤や鍬を投げ捨てて、鎧甲冑を装備して千人や百人の部隊の隊長となり、虎や狼のような兵隊たちを指揮することにおいて、まるで自分の腕の指先を使うように自由自在でした。功績をあげれば名誉を歴史に記し、戦いに敗れれば自分の遺体を野原にさらすことになりました。金銭的な利益や地位、あるいは命の危険や困難ということで、自分の心を変えたりしない、偉大な勇猛果敢さ、偉大な剛毅屈強な性格がありました。ですので、人々はその心に感心し、その正義感や勇気を恐れていました。
しかし、今の武士は勇気はなく、正義感は薄く、知略は足らず、とても大軍の中に斬りこみをかけて、縦横無尽に駆け回ることはできないことでしょう。
ましてや、本陣の中にあって、知略をめぐらし、勝利を決定するという偉大な勲功を望むこともできません。


ですので、もし腰の二本の刀を奪いとるならば、今の武士の心のありかたや判断力は、どれも都市の住民や農民の上に出るということはないことでしょう。農民は日ごろから骨を折って努力しており、都市の住民はいつも職業や社会生活に心を用いています。ですので、今もし重大な事態が世の中に起こるならば、功績や名誉をあげるのはかえって都市の住民や農民の出身の者でしょう。戦国時代に勇名を轟かせた福島正則片桐且元井伊直政本多忠勝らのような者たちは、武士階級からは出てこないと考えられ、本当に嘆かわしく思います。


このような能力のない者に高い給料や重要な地位を与えてくださり、日ごろから安らかに生活できるようにさせていただいていることは、本当に藩の主君の御恩のおかげであり、この御恩は言葉では形容しがたいものです。
この深い恩恵を受けながら、無能な武士ばかりであり、有事の際にわが藩の主君が恥や辱めを受けるようなことがあっては、本当に恐縮するばかりであり、本当に夜寝ることもできず、食事も喉を通らないはずです。
我々武士の先祖は藩に対し、少しばかりは功績があったかもしれませんが、その後の代々に至っては、皆特に功績もなく恩恵や給料を受けてきたものです。ですので、私たちは、少しでも学問を修めることを心がけ、人として行うべき道徳である真心や正義の一端でも耳に入れていき、どうにかしてこの人生の間に粉骨砕身努力して、露かしずくぐらいでも御恩に報いたいと思うことです。
この真心や正義の心を緩めることなく起し、後戻りすることがないようにするには、すべて以上に述べた「武士の気概」を起し奮い立たせ、人の下に屈することに安んじたりしないということを忘れないようにすることが重要です。
そうは言っても、ただこの武士の気概の発揮ということばかりで、志がしっかり確立しない時には、しばしば氷が溶けたり酔いが醒めるように、また後戻りしてしまうことがあるものです。
ですので、武士の気概が一旦発揮されるようになれば、ぜひとも志を立てることこそが、とても大切です。