大江健三郎の『二百年の子供』という小説は、幕末と近未来に主人公の子どもたちが時空を超えた旅をするという物語なのだけれど、
その近未来、2064年についての記述を昨日読んでいて、ちょっと驚くことがあった。
七、八年前に最初にこの本を読んだ時は、全然思わなかったことだ。
というのは、どんなことかというと、
小説の中に出てくる県知事が、最近人気の某自治体の首長によく似ている気がするということである。
小説の中では、非常によく統制のとれた、同じ服装をした子どもたちが大勢、ある集会をしようとしている。
そこに、過去からやって来た主人公たち三人が来てしまうのだけれど、当然主人公たちは服装も髪型もばらばらである。
県知事は、それに対して、
「君たちがそういう服装をする自由はある。私はそれを尊重しよう。しかし、せっかくみんなでまとまって集会の準備をしてきた他の子どもたちを邪魔することは、彼らの自由を侵害することになるんじゃないかな?
僕や他の子どもたちが君たちに暴力を振るったり弾圧をすれば、それこそ手ぐすね引いて待っているマスコミたちが取り上げるだろうし、そんなことはもちろん僕はしない。
しかし、他の子どもたちの自由を侵害し、邪魔をする権利は、君たちにあるのだろうか?自由の濫用じゃないかな?」
といった内容のことを主人公たちに言う。
(本を見ながら書いたわけじゃないので、多少正確な言葉づかいは違うかもしれないが、だいたい内容はこんな感じ)
この言い方、なんだか某首長が言いそうなことだなぁと思った。
よく統制のとれた、きびきびした、同じ格好の少年少女たちが大きな集会を行って、無事に成功させるようなことも、とても某首長は喜びそうだし、そのうちそんなことが行われるのかもしれない。
あるいは、某首長ではなく、その後継者たちがそんな風にしていくかもしれない。
作家の想像力というのはすごいものだなあと思った。
七、八年前に読んだ時は、いくらなんでもこんな未来はこないだろうし、考え過ぎじゃないかと思っていたけれど、案外と間近いのかもなぁ。。
もちろん、そうなるかどうか、そんな未来を選択していくかは、この小説が指摘するとおり、未来を含んでいる今をどのように私達自身が生きることによって左右されていくのだろうけれど。