- 作者: パトリシア・M・セントジョン,松代恵美
- 出版社/メーカー: いのちのことば社
- 発売日: 1996/09
- メディア: 単行本
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私が小さい頃、世界名作劇場のアニメで『わたしのアンネット』という作品があっていた。
世界名作劇場は、通常は『小公子』や『小公女』のような模範的な子どもが主人公であることが多いのに、この作品の主人公のアンネットは非常に性格が悪く、ルシエンという男の子を憎悪し続けていたのが幼心にも印象的だった。
理由は、アンネットの弟のダニーが崖から落ちるきっかけをルシエンがつくってしまったからだった。
ルシエンはなんとか許してもらいたいと思い、ノアの箱舟の動物たちを入れた精巧な木彫りの彫刻を一生懸命つくり、渡そうとするが、アンネットはそれを外に叩きつけて壊してしまう。
そんな大まかな筋は覚えていたが、細部は忘れていたので、ふとなつかしくなり、この原作を読んでみた。
すると、そういえばそうだった、と思い出したが、長く忘れてたことも思い出した。
というのは、ダニーが生れる時のお産でアンネットの母親は亡くなっており、アンネットは小さいながら弟の母代りのように一生懸命育てていたので、ダニーが事故で足を怪我して歩けなくなったことが、通常の場合よりもさらに深い悲しみと憎悪をかきたてられたということが、原作を読んでてよくわかった。
また、原作だと、ルシエンは気は小さいけれど最初の頃はやや意地悪な悪がきだった。
というわけで、児童文学でありながら、人間の心の必ずしもきれいなばかりではない、憎しみや葛藤を描いているという点で、この作品はとてもすぐれた作品と思う。
そして、何よりも優れているのは、単にそれにとどまらず、そこからの心の成長や、和解や赦しに至る道のりや救いがはっきり深いテーマとして描かれていることである。
キリストが常に心の扉を叩き続けていること、誰かを憎んでいることは実はそのキリストに対して心の扉を閉ざしてしまうことになること、心の扉をキリストに開いてキリストを招いた時に、愛や光がさすこと、完全な愛は恐れを取り除くこと。
そうしたキリスト教の真髄ともいうべきことが、とてもわかりやすく、主人公の子どもたちの体験や成長を通じてよく描かれていて、凡百の小難しいキリスト教の解説書をたくさん読むよりこの一冊を読んだ方がよほど心に響き伝わるものがあるし、凡百のくだらない小説を何十冊読むよりよほどこの良質な児童文学を一冊読んだ方が人生に得るものがあると思われた。
ところどころに描かれるアルプスの自然の描写もとても美しかった。
ルシエンに木彫りの彫刻を教えてくれるおじいさんの人生の思い出話も、胸打たれるものがあった。
キリストの愛やあわれみはたしかにあり、そしてそれに触れた時に、人は本当にもう一度人生をやり直すことができるし、その力をもらうことができるのだろう。
それにしても、これほどの良い作品が、小さい時にアニメ化されて与えられていたとは、自分の子どもの頃は幸せだったなぁと思う。
そして、三十年近く経って、その縁がきっかけで、この原作を読むとは、世の中の縁というのは不思議なものだと思う。
(追記)
『わたしのアンネット』の原作の『雪のたから』を著者のパトリシア・セントジョンは、第二次大戦の直後に、ベルゲンの強制収容所の写真を見てショックを受け、また大戦の後の人々の相互の憎悪を見て、「許し」をテーマにした作品を書きたいと思い、書いたそうである。
小さい頃、アニメで『わたしのアンネット』を見てた頃はそんな背景は全然知らなかったが、そういう背景があったんだなぁ。
ちなみに、ベルゲンの強制収容所は、アンネ・フランクがいた場所でもあるそうである。
『わたしのアンネット』のアニメは、日本のみならず、フランス、スペイン、イタリア、ドイツ、オーストリア、ハンガリー、ポーランド、イラン、フィリピンで放映されたそうだ。すごいなぁ、ジャパニメーション。