いじめ事件についての報道を見ていて思ったこと

今日たまたま、週刊文春の今号を読んでいて、大津のいじめ事件の記事を読んで、なんとも暗澹とした気持ちになった。
http://shukan.bunshun.jp/articles/-/1593


加害者たちの卑劣さや心の貧しさもさることながら、担任の無責任さや、校長や加害者の親たちのどうしようもなさに、今さらながら、暗澹とした気持ちにさせられた。


たぶん、こうした出来事は、特定の一部の学校や地域だけに限らず、たまたま事件が実際に起きたところに限らず、何かしら日本社会の教育や人心やモラルのありかたを反映しているのかもしれない。



昔、会津藩では、「什の掟」という以下の文章が、武士の子どもには叩き込まれたそうだ。



一、年長者(としうえのひと)の言ふことに背いてはなりませぬ
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
一、嘘言(うそ)を言ふことはなりませぬ
一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
一、戸外で物を食べてはなりませぬ
一、戸外で婦人(おんな)と言葉を交へてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです


もちろん、今の時代には若干時代遅れになっている項目もあるけれど、


「一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
一、弱い者をいぢめてはなりませぬ」


の二箇条は、問答無用で今の子どもにも骨の髄まで叩き込んだ方がいいのではなかろうか。


「ならぬものはならぬ」


ということは、はっきりさせておかなければならない。


大津事件の担任教師のような、へらへらと無責任で、ならぬものはならぬとはっきり言えない大人が多いから、このような事件が後を絶たないのではなかろうか。


人として、卑怯な振る舞いや弱い者いじめは実に恥ずべきものであり、そのようなことはあってはならない、ならぬものはならぬと、しっかりはっきり言える大人がどれだけ多くいるか、どの地域にも校区にも団体にもどれだけそうした人がいるかということで、地域社会や国家社会というものの健全さも維持されていくのだと思う。


いじめ事件による自殺が後を絶たないようだけれど、このようなことは日本の恥だということを、よくよく万人が肝に銘じて、このような出来事がないようにできる範囲で各々努力するしかないのだと思う。


新渡戸稲造や多くの人が語り伝えた、また昔の武士が身をもって生きた「武士道」とは、要するに、「強きを挫き弱きを助く」精神だったと思う。


日本人ならば、各自かかる高潔な精神を忘れるべきではないし、身の周りにそれらに悖るものがあれば、断固として座視すべきではないと思う。
愛国や正義やら、大上段にかぶった議論より、こういう身近なところでしっかりすることが、一番大切なことではなかろうか。