仏説無常経 偈文 現代語私訳・意訳

仏説無常経 偈文 現代語私訳・意訳


自分以外の世界の物事は、どれほど美しくとも、すべて皆結局は壊れていくものである。
自分の心や体もまた同じで、いずれ衰え老いて変化していく。
ただ真実の教えのみがずっと存在して決して滅亡しない。
智慧のある人々はこのことをよくよく観察すべきです。
老いや病気や死を、誰もが嫌い避けています。
老いや病や死は、その姿かたちが醜くて、厭う心が起きるものです。
若い時の容姿の美しさはほんの束の間のことで、
決して長くは続かず、結局は老いさらばえていくものです。
たとえどれだけ長生きして百歳まで生きても、
無常の理によって老病死が迫ってくるのを免れることはできません。
老病死の苦しみは常に人に随って追いかけてきて、
あらゆる生きものの営みを空しいものにしてしまいます。




人間は、常に五感の欲望の対象を求め、
善い行為をしようともしません。
どのようにしてこの体と生命を保つことができるかばかり考えて、
死がやって来るのを見ません。
命が尽きようとする時、体とのつながりは離れていきます。
さまざまな苦しみが死とともにやって来て、
人はその時になってはじめていたずらに嘆き恨み悲しみます。
目は散乱して宙をにあらぬものを見てさまよい、
刀のように死が自分の今までやってきた行為の報いとともに自分に降りかかってきます。
意識も、想念も、ともに恐れおののき、
誰も他人が助けたり救うことは出来ません。
咳にむせんで、のどがからからに乾き苦しむ中、
死という王がやって来きます。
自分の家族親戚は臨終の床に集まり守ろうとしても無駄なことで、
自分の意識は暗く昏睡し、険しいあの世の城の中へと入っていきます。
この世の家族や親しい人々を皆捨てて置き去って、
自分の行為の業の報いの縄が引っ張るのに任せ去っていきます。
閻魔王(ヤマ天)のいる所に来て、自分の生前の行為の業に随って報いを受けることになります。
善い行為が原因となって善い世界に生まれ、
悪い行為は地獄に落ちる原因になります。
智慧ほど明るい灯火や道案内になることはなく、
自分の無知や愚かさほど暗い暗闇となるものはありません。
病気ほど恨めしく悲しいことはなく、
死ほど恐ろしいものはありません。
生きていれば、いつかは必ず死がやって来ます。
罪をつくれば、苦しみが自分の身に迫ってくることになります。
心・言葉・身体の三つの行為において善いことを励み、
善いカルマと智慧をしっかり生きている間に修めなさい。
家族や仲間は死ねば皆捨てて去っていかねばならず、
財産も結局は他の人がとることになるのです。
ただ自分の積んだ善い行為・善いカルマのみを持って、
死後の険しい道のりの糧や食べ物とすることになるのです。
たとえてみるならば、道ばたの樹のようなものです。
ほんの一時、そこで休憩しても、長くとどまることはありません。
車や家族や子どもも、死ねば別れてひさしくとどまらないことはそのようなものです。
また、たとえてみるならば、集まって一晩を過ごしている鳥たちのようなものです
夜には集まりますが、朝にはそれぞれ飛び去って別れていきます。
死んで親しかった人々を去って別れて、離れていくこともまたそのようなものです。
ただ、仏の悟りのみ教えのみが、真実の憩いの場所です。
仏教のお経の要点をいま説きました。
智慧ある人はよく思い考えてください。
神々や阿修羅や夜叉たちの中の、ここに来て真実の教えを聴きたいと思う者は、
真心を尽くして、仏のみ教えを守り長く存続させて、仏の教えの実践に努め励みなさい。
さまざまな仏法を聴く人々がここに至って来て、
地上にいたり、あるいは空にいて、いまこの真理の教えを聴いています。
人はいつもこの世においては慈しみの心を起こし、
昼も夜も仏教のみ教えによって生活しなさい。
もろもろの世界がいつも安穏であるように願い、生きとし生けるものを善い行為と智慧で利益するようにしなさい。
あらゆる罪業を除き消し去り、さまざまな苦しみを厭い離れて、完全な安らぎに帰しなさい。
いつも戒めを守って、瞑想を保ち、自分の身を助けなさい。
悟りによって自分やこの世を荘厳し、どこに行っても常に安楽でありなさい。





原文
http://d.hatena.ne.jp/elkoravolo/20110610/1307677011