現代語私訳 善導大師 「般舟讃」(念仏讃歌)  第七節

現代語私訳 善導大師 「般舟讃」(念仏讃歌)  第七節



仏教に八万四千もの実に多くの入口があるのは、
(浄土への往生を願います)


生きとし生けるものはそれぞれ機根や性質が異なっているためです、
(はかりしれない喜びよ)


安らかにいつも憩うことのできる場所を求めたいのであれば、
(浄土への往生を願います)


まずは要となる実践方法を求めて、真理に至る門(真門、念仏の道)に入りなさい、
(はかりしれない喜びよ)


さまざまな異なっている教えを少しずつ悟りに至るための教え(漸教)と呼びます、
(浄土への往生を願います)


はかりしれない長い時間に苦しい修行をして生と死の二つを超えた悟りを開きます、
(はかりしれない喜びよ)


それに対して、この命が尽きるまでの間、専ら念仏するならば、
(浄土への往生を願います)


迷いの命を短い間に断ち切って、仏が迎え導いてくださいます、
(はかりしれない喜びよ)


一回の食事の間ですら煩悩が心に起ることがあります、
(浄土への往生を願います)


ましてや、はかりしれない長い時間の間に、貪りや瞋恚が起らないはずがありません、
(はかりしれない喜びよ)


貪りや瞋恚は、人間や天界に生まれ変わる道を妨げて、
(浄土への往生を願います)


地獄・餓鬼・畜生・修羅の中に身を受けることになります、
(はかりしれない喜びよ)


阿弥陀如来の浄土に至りたいと思うならば、
(浄土への往生を願います)


念仏と戒めを保つことで功徳を積み、その功徳を回向すべきです、
(はかりしれない喜びよ)


戒めをよく保ち努力するならば、もろもろの仏が讃嘆してくださいます、
(浄土への往生を願います)


臨終には、蓮華の台座がおのずと来迎します、
(はかりしれない喜びよ)


一回の念仏の間に阿弥陀如来が説法している集まりの場に入り、
(浄土への往生を願います)


三界と六道の輪廻が自らの心から取り除かれます、
(はかりしれない喜びよ)


三明・六神通をすべて自由自在に会得します、
(浄土への往生を願います)


迷いの命が終われば、もはや退くことはなく、涅槃を目の当たりに見ます、
(はかりしれない喜びよ)


行住坐臥に、常に仏を見ます、
(浄土への往生を願います)


お香やお花を手に持って、常に仏を供養します、
(はかりしれない喜びよ)


さまざまな人のその時々のひとつひとつの思いを相手に合せて耳を傾けて聴き、
(浄土への往生を願います)


何百何千という高度な集中状態を自然に成就します、
(はかりしれない喜びよ)


あらゆる時々においていつも高度な集中状態に入ります、
(浄土への往生を願います)


高度な集中状態の中で仏の教えを聴き、すべてをよく理解し悟りを得ます、
(はかりしれない喜びよ)


数多くの功徳の荘厳の宝が念じれば現れ、
(浄土への往生を願います)


はかりしれない長い間において仏を供養して仏の慈しみの恩に報います、
(はかりしれない喜びよ)


はかりしれない数の無始以来の悪業は仏の智慧によって消していき、
(浄土への往生を願います)


迷いを転じて真理の入口に入れば、
(はかりしれない喜びよ)


長い時間、はかりしれない長い時間、さらにはかりしれない長い時間も、
(浄土への往生を願います)


指をパチンと鳴らすほどの短い一瞬の間のようなものです、
(はかりしれない喜びよ)


このような喜びと楽しさのある場所において自由に安らかに過ごすのです、
(浄土への往生を願います)


一体、何の身に貪りの心を起こしてさらに生まれ変わりたいと思うことがあるでしょうか、
(はかりしれない喜びよ)


たとえ、千年もの間、五感による快楽を享受したとしても、
(浄土への往生を願います)


地獄の苦しみを受ける原因や縁を増やすだけのことでしょう、
(はかりしれない喜びよ)


貪りや瞋恚や十悪(十善戒に反する行為)が次々に起ります、
(浄土への往生を願います)


どうしてそのようなことが解脱や涅槃の原因になるでしょうか、なりません、
(はかりしれない喜びよ)


地獄・餓鬼・畜生の三塗に生ま変わることを畏れずにさまざまな罪をつくり、
(浄土への往生を願います)


仏法僧の三宝を破壊して、長い時間、輪廻の苦しみに深く沈みます、
(はかりしれない喜びよ)


父と母に孝行をせず、仲間に悪口を言ったり中傷を行い、
(浄土への往生を願います)


地獄に身を置いていつ脱出できるかもわかりません、
(はかりしれない喜びよ)


はかりしれない長い時間ずっと、苦しみの海に沈み、
(浄土への往生を願います)


西方浄土に往生するための教えをいまだかつて聞いたことがありません、
(はかりしれない喜びよ)


人間の身に生まれたというのに、多くの煩悩の妨げがあり、
(浄土への往生を願います)


仏の教えによる感化を受け入れずに、逆に仏の教えを疑います、
(はかりしれない喜びよ)


東西南北上下の六方の如来たちは極まりない慈悲の心から、
(浄土への往生を願います)


心を同じくして一心にこの私に西方浄土に往生することを勧めておられます、
(はかりしれない喜びよ)


長い間かかっている病気や遠くに出かけることについては日にちを数えないのに、
(浄土への往生を願います)


念仏をしている暇はないと言う、
(はかりしれない喜びよ)


そのような人は、教え導いて救うことは難しいものです、
(浄土への往生を願います)


そのような人は、無明に深く沈んで、長い間眠っているものです、
(はかりしれない喜びよ)