三木清 「支那事変の世界史的意義」

三木清の「支那事変の世界史的意義」をタイピングしてみた。
これは、全集にも未収録の文章である。
したがって、タイピングしてネット上で誰でも読めるようにすることは、それなりの意味もあるかもしれない。


原文の送り仮名は、読みやすい新仮名遣いに改めた。




三木清 「支那事変の世界史的意義」(昭和十三年八月 講演の記録)


今次の支那事変がいかなる世界史的意義を持つかという問題は、非常に大きな、難しい問題であるが、その解答の緒をひらく意味で簡単にお話申し上げたいと思う。



支那事変の世界史的意義を考える前に、「世界戦争」がどういう意味を持っていたかを、まず考える必要がある。
それには色々の意義があるが、その最も重要な帰結の一つは、ヨーロッパだけが世界でないことがわかったということであった。
世界はヨーロッパであり、ヨーロッパの文化が文化であり、そしてヨーロッパの歴史が世界史そのものであるという、久しい間ヨーロッパ人を支配していた考え方が、彼ら自身によって批判的に反省されるに至ったこと、―これがきわめて重要な点である。
しかも注意すべきことは、ヨーロッパ主義の批判は同時に世界史の統一的な理念の破滅を意味したということであった。
ヨーロッパというものはギリシア・ローマの文化を根底とし、同じキリスト教という宗教を持った統一ある一つの世界であった。
それがヨーロッパ的世界の外に、精神も構造も全く異なる文化が存在するということを知るに至ったのである。
西洋人のいわゆる世界史は、ヨーロッパ史にほかならぬことが、ここに初めて広く認識せられた。
シュペングラーの西洋没落の思想も、元来、西洋文化が没落して東洋文化がこれに代わるというが如き意味を有するのでなく、むしろ世界史そのものと見られていたものが、実は単にヨーロッパ史に過ぎなかったという悲劇的自覚を表わしたものに他ならぬ。
かくして彼らの世界史の統一の理念は分裂した。
これがヨーロッパ大戦後の大きな、新しい転換であった。
二十世紀は、実はここから始まるのである。



しかるにそのことは他の方面から見ると、近代的原理としての自由主義が行き詰まり、従来世界を支配していた統一的原理が失われ、それに代わるべき新しい思想が要求されるに至ったことを意味している。
コミュニズム(原文・「コンミュニズム」、以下同)は、こういう時に際して世界史の新しい統一的理念を現わしたものとして出てきたのである。
したがって今日これに対抗して二十世紀における思想となりうるものは、世界史の統一的理念をみずから掲げて現れるのでなくてはならぬ。
ところがそういう思想は今日未だどこにも現われていないのである。
もちろん、民族主義国民主義というものは出ている。
しかしそれは今日においては交通、経済、文化等の進歩によって世界というものが現実的になってきた上に出てきたもので、世界というものを解決しないでは成り立たぬものであるから、現在のファシズム(原文・ファッシズム、以下同)の如きに止まるならば、決して新しい時代の世界史的原理とはなりえない。
現状を打破した上、どこへ行くかが闡明せられなければ駄目である。
世界史の新しい理念として現れたように見えたコミュニズムは、ドイツにおける共産党の失敗を重大な転機としてついに支配的になりえなかった。
もしあの時共産党が成功していたら、コミュニズムが世界の統一的理念になったかもしれぬ。
しかしあの時をやまとしてリベラリズムと対抗し、しかもコミュニズムに対立して、もう一つのもの ―すなわちファシズムが出てき、それの世界的強化となり、こうして世界は現在、リベラリズムファシズムコミュニズム三者の対立、闘争の中にあるのである。
しからばこれらのものを乗り越え、世界を積極的に統一する思想はどこにあるのであろうか、またいかにして生まれるのであろうか。
第二次世界戦争は考えられるその一つの道である。
世界戦争になれば、リベラリズムも、ファシズムも、コミュニズムもすべて変質するし、人類もみんなが参るか、考えなおすか、とにかくそれからして何かが出てくることが可能である。



右のように考えた上で、さてそれでは現在の支那事変にいかなる意義を見るべきか、といえば、従来、東洋という世界は、西洋のような統一をもたぬ世界であった。
共通の宗教もなく、共通の政治形態もなく、そして共通の文化も持たぬ、ほとんど内面的統一のない世界であった。


日本はもちろんインド及び支那より影響を受けたこと少なしとしない。
しかし日本の文化がこれらの国に重要な影響を与えたことは未だかつてない。
したがって文化の交流と言っても一方的で、日本は大陸に出る機会を持たず、それが日本文化の特色を規定するとともにその制限を規定した来たのである。


東洋の統一は、日本が大陸に積極的に働きかけるようになった今次の事変によって初めて生ずる可能性が急速に発達したのである。
しかし日本文化は支那に入ればあるいは支那文化に吸収されてしまうことにあるかもしれない。
支那においては日本文化の優秀性はまだ試練されていないことである。


文化史的に見れば、「東洋」の統一ははたして日本がするか、あるいは支那がするか、それはまだわからぬ。
しかしながら、東洋の統一そのものはすでに世界史的段階にある。
そして支那、東洋と無関係では今後の日本は成り立たぬことを知るべきである。
したがって日本文化の特殊性をただ強調するのみでは日本の行動の基礎は決して与えられない。
日本固有のものを支那人に強要することは全く無意味であり、不可能である。
東洋というものを考えずして、日本と支那とが真底から結びつくことはありえない。
だから日支提携といい、日満支一体というのは、これまで世界史的意味においては少しも実現されていなかった東洋の統一ということを、支那事変を通じて実現してゆくということでなければならぬ。
と同時にこの場合の東洋の統一ということは、もはや西洋と無関係では考えられない。
東洋の形成される日は、同時に真の意味において世界の形成される日であらねばならない。
日本は支那が進みつつあった近代化の方向を妨害すべきでない。
そして事変がここまで来れば、支那を解決しなければ日本は解決されず、日本を解決しなければ支那は解決されない。
換言すれば、支那建設の原理は同時に国内改革の原理であらねばならず、国内改革の原理は同時に世界形成の原理であらねばならぬ。
そしてこの世界形成の原理を見出し、この大事業を達成することに、今次事変の世界史的意義があり、日本の世界史的使命があるのである。
日本国内だけの問題ならばたとえやり方が多少間違っていても、あるいは力で弾圧してやってゆけぬことはない。しかし、もはや日本だけを切り離して考えることはできぬ。


ただ支那を軍事的に占領しているということだけでは、日本は支那の番兵をしているに過ぎぬ。
支那の傭兵に過ぎぬという結果に移るおそれがある。
そなわち、日本の犠牲において支那保全するということに終る。
これを日本がやり遂げねば支那人がやるか、あるいはロシア人があるか、イギリス人がやるか、いずれにしても東洋の統一というものはどこかの国がやらなければならぬ段階に来ている。
日本が真に覇者たるの道はこの世界史的使命を遂行する以外にない。
ここまで乗り出してきた以上、それをやり遂げねば日本は生きて行けぬ。
そしてそれだけに日本の使命は実に容易ならざるものである。
それを覚悟してかからねばならぬ。



かくして東洋の統一は、日本民族に与えられた世界史的な課題である。
そしてそれは今日極めて重要な課題、すなわち資本主義の解決という大きな根本的な課題を含んでいる。
今日の段階における世界史最大の課題は実にこの問題の解決なのである。
資本主義社会のいろいろの矛盾をいかにして解決するか、この解決に対する構想なしには、東洋の統一ということも、真に世界史的な意味を実現することはできない。
東洋の統一ということは、ただこれを資本主義的に統一するということだけならば、世界史的意味のないものである。
繰り返して申すならば、日本の世界史的使命とは、コミュニズムに対抗する根本的理念を身を以て把握することにある。
それを空間的にいえば東洋の統一であり、それをまた時間的にいえば資本主義社会の解決である。


支那事変はこれらの根本的課題を解決すべきものとして、そこに世界史的意義を見るべきである。