三木清の世界史の哲学について 雑感

ある方から、先日教えていただいて知ったのだが、三木清には全集に収録されていない「支那事変の世界史的意義」という講演録がある。
『批評空間』の1998年の十月号に収録されている。


今日、図書館で読んでみたのだが、なるほど、これはなかなか解釈のむずかしい、ある意味、非常に考えさせられる文章だった。


昭和十三年(1938年)に、近衛文麿のブレーン集団である昭和研究会での講演を記録したものだが、


この中で三木清は、ヨーロッパ中心の世界史が第一次世界大戦で深刻な懐疑にさらされ、統一的な理念が失われたこと、


つまり、近代的理念としての自由主義が行き詰まりを見せていることを指摘した上で、ファシズムはその代替になりえないとし、かつコンミュニズム(共産主義)は支配的にはなりえておらず、リベラリズムファシズム・コンミュニズムの三者の対立の中で、コンミュニズムを克服する思想が求められているとする。


その上で、支那事変(日中戦争)は、それまで内的統一がなかった東亜に、ある意味、統一の契機を与えるものになりうるとする。
しかし、それは軍事的なものであってはならず、また、資本主義の解決が不可欠だとする。


『批評空間』の同号には、米谷匡史「三木清の「世界史の哲学」」という、この講演および三木清の「世界」や「世界史」をめぐる思想についてのとてもわかりやすい論文も載っている。


それによれば、三木清は、決して日中戦争や当時の日本のありかたに無批判だったり追従したわけではなく、日本ファシズムや日本主義を批判するために、日中戦争における中国の側の抵抗の契機や日本内部の変革の必要性をうまく活かして、日本の自己変革を促そうと時局に積極的に介入していろんな論考を発表したらしい。


三木清においては、日本の帝国主義は否定されるべきであり、そのための重要な契機に日中戦争はなると考えていたようだ。


だが、三木清がそうした願いや思いをこめて紡いだ「東亜協同体論」は、中国側からは単に侵略の正当化の議論であり、日本の大陸支配のためのイデオロギーとしか受けとめられなかったようだし、日本国内においても、むしろ近衛内閣における日中戦争を支える役目を、意図せずして働いてしまったようである。


この講演録も、よく読むと、三木清が言っている「解決」というのは、べつに軍事的な勝利による解決を言っているのでなく、もっと別の、日本の内部での変革を含めた、大きな意味での解決という意味をこめているのだろうと読めなくもないが、時代による制約があったとはいえ、きわどい言論であったし、誤解される危険性が高い、あるいはそもそも誤解なしにはなかなか受けとめてもらえない言論だったのかもしれない。


三木清を見ていると、体制内抵抗というのは、非常に難しいし、きわどい綱渡りをするつもりが、ミイラ取りがミイラになってしまう危険を非常に孕んでいるものだと思える。


米谷匡史のこの論文では、三木清の「理念の空転」を、三木の主観的な意図の純粋さを踏まえた上で分析していて、三木の悲劇性をよく解説していると思う。


あと、三木の危うさは、体制内抵抗に賭けたということだけでなく、思想内在的な、「世界史的意義」や「世界」という発想そのものにあったと思う。
同論文の最後の方では、小林秀雄が三木らを批判して、「世界史なんてものはどこにもない」という批判をした文章を引いてあった。
三木は、『人生論ノート』ではヘーゲルに対してわりと醒めた見方も示しているのだけれど、「世界史」や「世界」、「世界史的意義」という発想は、非常にヘーゲル的で、その点、ヘーゲル的な発想を払拭できていなかった、ということなのかもしれない。
あまり大きな話や世界史的意義づけというものは、ともすれば非常に危険な発想であり、起こっている出来事への距離感を喪わせたり、批判精神を麻痺させてしまう危険があるということが、三木の悲劇からも非常に考えさせられる教訓として言えることなのかもしれない。


ただ、にもかかわらず、私がこの講演録や、あるいはその解説の米谷論文を読んでいて感じざるを得なかったことは、この時代の知識人というのは、本当に真摯なものだったのだなぁということだ。
昨今の日本において、たとえば、TPPや東アジア共同体について、良くも悪くも、その「世界史的意義」や哲学的な意味づけを目指す議論は、ほとんど聞かない。
というより、私が知る限りでは、存在しない。


そのことは、ある意味、あんまり大きな話をしないという点で、健全なことかもしれない。
しかし、なんともディストピアな、真摯さの乏しいだけのことのような気もする。


三木清の悲劇とその教訓を踏まえた上で、三木の真摯さから何かしら現代は学ぶべきことはないだろうかと、読んでいて思わざるを得なかった。


だが、そのためには、三木の悲劇と教訓を、決して忘れずに、重々よく理解したうえでなければ、決してそのような作業はできないことなのだろうとも思う。


あと、根拠のあまりない漠然とした革新幻想というものに、真摯な知識人が飛びつくと、非常に悲劇的なことになりうるということも、三木に限らず、昭和研究会の一つの教訓として言えるのかもしれない。
これも今の時代の中で、わりとリアルに感じられることだ。