現代語私訳 善導大師 「般舟讃」(念仏讃歌)  第二十七節

現代語私訳 善導大師 「般舟讃」(念仏讃歌)  第二十七節



上品下生の凡夫たちは、
(浄土への往生を願います)


深く原因と結果の法則を信じて、過ちを犯さないようにしなさい、
(はかりしれない喜びよ)


身体・言葉・心の三業を起す時は、人はおごりたかぶりが起こりやすいものです、
(浄土への往生を願います)


ただこの上ない悟りを求める心を起こし、
(はかりしれない喜びよ)


回心して一声一声の念仏ごとに浄土に往生したいと願えば、
(浄土への往生を願います)


臨終の時には金色の蓮の花が至るのを見ます、
(はかりしれない喜びよ)


五百の化仏や観音菩薩たちが、
(浄土への往生を願います)


その時、手を引いて蓮の花の中に導き入らせてくださいます、
(はかりしれない喜びよ)


一回念仏をするうちに、蓮の上に乗り、浄土の宝の池の中にいます、
(浄土への往生を願います)


一日一夜に宝石できた蓮の花は開きます、
(はかりしれない喜びよ)


花が開いて、阿弥陀如来の御姿を見るのですが、まだかすかな煩悩の障りがあり、
(浄土への往生を願います)


二十一日が過ぎた後に、はじめてはっきりと見えるようになります、
(はかりしれない喜びよ)


耳に浄土の聖なる方々の声を聴いて、心に悟りを得ます、
(浄土への往生を願います)


別の世界の如来たちに仕えまわって、将来仏になると保証されます、
(はかりしれない喜びよ)


十劫ものはてしなく長い時間を、ほんのわずかの間だと気付かぬうちに尽くして、
(浄土への往生を願います)


進んで菩薩の歓喜地に至り、仏の教えに明らかに通暁するようになります、
(はかりしれない喜びよ)


念仏三昧の喜びよ、
(浄土への往生を願います)


いのちが終るその時まで、疑いを生じさせることがないようにしなさい、
(はかりしれない喜びよ)


もし釈尊の本当の弟子ならば、
(浄土への往生を願います)


誓って、み仏の言葉どおりに行い、浄土に往生しなさい、
(はかりしれない喜びよ)


釈尊以外の言葉を信じてぼんやりと過ごすことがないようにしなさい、
(浄土への往生を願います)


縁に従って、病を治すのは、それぞれの方法によりなさい、
(はかりしれない喜びよ)


急に災厄や危険なことに出遇って、自分の身が急にどうにかなれば、
(浄土への往生を願います)


在家や出家の人々が幾重にも取り囲んでも、その人を救うことはできません、
(はかりしれない喜びよ)


一切の物事は空だなどと口には言っても、心の中には怨みが起っており、
(浄土への往生を願います)


自分が正しく人は間違っているといった我見は、山のように大きなものです、
(はかりしれない喜びよ)


そのような人には近づかないようにすべきです、
(浄土への往生を願います)


近づけば、はかりしれない長い間、苦しみ輪廻することになります、
(はかりしれない喜びよ)


耳をそばだて、心を傾け、常に仏法を尋ね求め、
(浄土への往生を願います)


今生この身に仏道を実践して、生と死の二つを離れた悟りを得なさい、
(はかりしれない喜びよ)


もしこの本願念仏のみ教えの極めて稀な素晴らしい利益を聞いたならば、
(浄土への往生を願います)


この身もこの命も顧みずに、必ず得ることを求めなさい、
(はかりしれない喜びよ)


もし、専らこの道を行じて命を惜しまなければ、
(浄土への往生を願います)


迷いの命を断ち切って、ほんのわずかの間に浄土に往生します、
(はかりしれない喜びよ)


念仏三昧の喜びよ、
(浄土への往生を願います)


念仏は、涅槃への入口です、
(はかりしれない喜びよ)