「七つの聖なる財産」
(Satta-Ariyadhana)
仏教では、七つの聖なる財産、ということが教えられている。
もちろん、普通の財産も人生においては大事だが、それと同時に、普通の財産とはまた別に、この七つの財産もあった方が、人生は成功するし、幸せに生きることができる、とのことである。
その七つとは、
1、 自信(サッダー)
2、 道徳(シーラ)
3、 学ぶこと(スタ)
4、 見返りを求めずに与えること(チャーガ)
さらに、
5、 悪いことを恥ずかしいと思うこと、恥(ヒリ)
6、 悪いこと(の結果)を恐ろしいと思うこと、怖れ(オッタッパ)
7、 智慧(パンニャー)
である。
1のサッダーは、仏法僧への自信で、学ぶことと実践することによって獲得されていく。
このサッダー(自信、確信)があると、「今あるところから決して落ちない」、つまりどんな時も悪いものから守られ、向上の道がひとつあるのみ、と仏典では教えられているそうである。
2のシーラ(戒、道徳)とは、自分に被害を与えることを避け、他人に被害を与えることを避け、自分と他人の両方に被害を与えることを避けるということである。
他人に被害を与えずとも、自分のいのちを傷めたりすることは、自分もまたいのちのひとつと見れば誤りであり、仏陀はそのような人は両目で見ずに片目で見ているようなものだと教えられているそうである。
身体の行為、言葉の行為、心の行為の三つにおいて、自・他・自他両方に被害を与えることを止め、避け、この三つに善い力を発揮していくことである。
学ぶことの「スタ」は、言葉そのものは「聞くこと」という意味で、釈尊の時代はすべて勉強は先生から直接聞くことでなされていた。
仏法を学び、善いことを学ぶことである。
4のチャーガは、ダーナ(与えること)の最高のもので、見返りを全く期待せずに行われるダーナが、チャーガである。
このチャーガこそ、本当は一番絶大な効果があると仏教では教えられているそうだ。
恥と怖れは、人間と動物を区別するものであり、これがあればこそ人間は人間である。
智慧(パンニャー)は、すべてをはっきりと見る智慧で、部分的にしか見ない狭い視野とは異なり、物事のすべてをはっきりと見通すことで、仏の智慧のことだが、もしこれが得られれば、最高の財産ということだそうである。
世俗の普通の物質的な財産も、普通に生きていくためには必要なことで、必要は分はもちろんあった方が良いし、なくては困る。
なので、世俗の財産も一生懸命得た方が良い。
だが、と同時に、この七つ、特に最初の四つは、日ごろから心がけて、増やしていくようにした方が良いのかもしれない。
物の財産は場合によっては失われることもあるし、使えば使うほど減ってしまうし、死ぬ時には置いていかねばならない。
しかし、上記の聖なる財産は、今生にも役立つと同時に、今生以降のいのちにも役立つし、決して失われることなく、使えば使うほど増えて高まっていく。