二元化思考の蔓延

AERA」の最新号(2月7日号)をぱらぱらとめくっていたら、「ツイッターが生む “反”民主主義 「自分思考」がなくなっていく」という記事があった。


その中に、ツイッターなどのデジタルツールが、二元化情報や二元化思考を蔓延させている、という指摘があった。


大賛成か大反対か。
そのどちらか。


という思考が、ツイッターやネット世界では多い、ということである。


私はツイッターはあんまり使わないので、そうなのかよくわからないが、mixiのニュースについての日記や、政治関連のコミュニティを見ていると、本当にそれは痛感する。


大賛成か大反対か。
白か黒か。
ダメか丸か。
善か悪か。


そんな極端な二元思考がともすれば多い気がする。


現実の世の中は、そうそう明白な善や悪というのはあんまり多くはなく、良い部分も悪い部分も交じっているというのがほとんどだろう。
賛成か反対かというのも、部分的にこの部分には賛成だが、この部分には反対だというのが、是々非々の賢明な判断や慎慮というものではなかろうか。


どうも、どの部分に反対でどの部分に賛成か、どの部分が問題でどの部分は評価するのか、という個別具体的な検証をすっ飛ばして、単純な破壊主義や賛美に走る傾向が昨今は多い気がする。


それほど無責任で、単純で、粗雑なものはないと思うのだが、ネットなどのデジタルツールはそういう思考を育みやすいのだろうか。


うまく使えば、ネットは良質の議論や質の高い意見交換や情報収集の場にもなると思う。


ただ、たとえば140字しか表現できないツイッターでは、一回あたりはたいしたことが言えないのもたしかだろう。


ネットが人の思考や精神を良い方向に育むのか、はたまた粗雑な二元思考に堕落させるのかは、今のところまだ何とも言えないが、できれば後者ではなく前者であって欲しいと思う。
そのためには、後者の危険を自覚し、意識的に前者を心がけることが、すべてのユーザーに求めらている時代なのかもしれない。