ちょっと気の毒になるなぁ、小沢さん

「普通なら死にたくなる」小沢氏が弱音?
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110205/stt11020517420004-n1.htm


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民主党小沢一郎元代表は5日、広島県尾道市で開かれた同党参院議員の会合で「普通だったら新聞、テレビに1カ月も攻撃されれば、大概の政治家は死にたくなる」と弱音を吐いた。その上で小沢氏は「彼らの攻撃、誹謗(ひぼう)中傷に毅然(きぜん)と戦っていられるのは、地元の皆さんが支えてくれているからだ」と語った。
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この記事を読んでて、ちょっと気の毒になった。


そりゃあそうだろうと思う。


小沢さんのみならず、菅さんも最近はマスコミに叩かれまくっている。


菅さんも、そういえば、この前、ニコ動の番組の中で、最近の歴代の首相が気持ちが萎えたのもよくわかる気がする、ということを言っていて、気の毒な気がしたことがあった。


安倍さんや福田さんや麻生さんも、それぞれにかわいそうな面があった。


そういえば、以前岡田さんが書いた本を読んでいたら、いきなり顔に唾を吐きかけられたことがあったと書かれていた。


そうしたことを覚悟でなるのが政治家ではあるのだろうけれど、それぞれに少なくとも本人の主観的には国のために尽くして働いているというのに、悪口雑言、まるで親の仇か大悪人のように言われ続ければ、そりゃあ世の中嫌になることもあるだろうと思う。


もちろん、政治権力に対して批判する自由はあって良いと思う。
その政策が間違っていると思う時は、正々堂々と、その政策の誤りを論じ、その非を指摘し、他の代案を出したり、間違っていると思う根拠を示すことは大事だと思うし、その自由はとても大事なものだろう。


しかし、ただ単に、首相や権力者に悪罵を投げつけ、その権威を落とし、嘲弄するばかりでは、破壊的な影響しか招かないのではなかろうか。


いろんな有権者や青少年や子どもも、まともな神経の持ち主であれば、たとえ国家社稷を思う気持ちがあっても、とても政治家や首相になりたいとは思わないだろうし、政治家本人もやる気を失い、無責任やネガティブな傾向ばかりが蔓延する気がする。


もちろん、首相や政治権力者を一定程度ちゃかしたり風刺したりする自由がある社会の方が、本当は幸福な社会だと思う。
その自由はあった方がいいだろう。


ただ、大事なことは、自分がその立場だったらどう思うだろうかという配慮を持つことは、相手が誰であれ、たとえ相手が首相や権力者であろうと、忘れてはならない配慮だし、最低限の礼節というものではないかと思う。


たぶん、全くの悪人も完全な英雄も、世の中普通はいるものではないから、悪く言われる政治家も、一部の人が心酔する政治家も、おそらくはただの人間であり、それほど純粋に悪人でも英雄でもないのではないかと思う。


大事なことは、お互いにただの人間で凡夫であるということを踏まえた上で、あんまり完璧を期待せず、良い部分も悪い部分もきちんと根拠を踏まえて評価していくことではないかと思う。


ヒュームは、言論の自由を擁護しながら、一方で言論の自由の行き過ぎの弊害も憂慮していた。
また、政治社会には権威と自由の二つが両方重要であり、どちらが不足しすぎても無秩序や自由の窒息につながると考えていた。


ヒュームの言わんとしていたことや感覚が、この頃は実によくわかるというか、とても共感させられる。