連合赤軍事件の教訓

永田洋子死刑囚が病死
http://www.asahi.com/obituaries/update/0206/TKY201102050373.html


連合赤軍事件は何分私が生まれる前に起こった事件なので、詳しいことは知らないのだけれど、なんとも悲惨な事件だと思う。

永田洋子に関しても詳しいことは何も知らない。

ただ、私が小さいころ住んでいたところの近くに、調布学園という学校があった。
そこはいわゆる金持ちの子弟が多く通う学校だったのだけれど、永田洋子はそこに通っていたという話を聴いたことがある。
永田洋子自身の家は普通の家庭で、周囲とのギャップをそこで強く感じたそうだ。

親は良かれと思って無理して通わせたのかもしれないが、漫画の「花より男子」みたいにはうまくいかず、深刻な社会の矛盾を感じる結果ばかりを招いたのかもしれない。

「さるべき業縁のもよおせば人はいかなる振る舞いもするべし」、つまり条件や縁次第で人は思ってもいないことをしてしまう、ということを親鸞聖人は言っているけれど、永田洋子ももし別に金持ちばかりが通う学校ではなく普通の中学高校に通っていれば、のちの人生は違っていたのかもしれない。

昔、野村秋介さんの本を読んでいたら、永田洋子のことについての一文があり、永田洋子が書いた「十六の墓標」という本を多くの人に読まれるべきだと書いてあった。
野村さんは、刑務所まで行って永田洋子に面会したことがその本には書かれていたと記憶する。

連合赤軍事件を、自分に全く関係のない凶悪な事件と断罪して単純にののしるだけの姿勢と比べると、連赤とは全く対照的な民族派右翼に属するはずなのに野村さんがその事件からきちんと教訓を汲み取ろうとし、耳を傾けている姿勢は、昨今のネトウヨとはずいぶんと違うものを感じさせられる。

それ以来、気にはなりながら、まだ「十六の墓標」は読んでいないのだけれど、いつかそのうち暇を見つけて読んでみたいと思う。

そういえば、もうずいぶん前の、まだ筑紫さんが生きている頃のNews23で、連合赤軍事件についての特集があっていた。

当時事件に実際に参加した人へのインタビューがあっていた。

ひとりは、今は環境問題などに取り組んでいるということだった。

「社会が本当に何を求めているのか?」を見る目を養うことが、

あの事件の失敗から学んだことだったと答えていた。

もうひとりの人は、連合赤軍の革命は失敗してよかった、と言っていた。

そして、番組のゲストの人が、あの事件以来、直接社会に異議申し立てをすることを我々は忘れてしまった、ということや、
当時はもっと自分が動けば世界が変わるかもしれないと、今よりも強く人々は思っていたし感覚としてそう感じていた、みたいな話をしていた。

そのこともふと思い出す。

理由はなんであれ、人を殺すことや、仲間を殺すことは私は正当化できないと思うし、そのような行為をする人々が世直しができるはずはないと思う。

しかし、連合赤軍事件以降、直接社会に異議申し立てすることを人々が怠り忘れるようになってしまったとしたら、また自分が動いても世界は変わらないという感覚ばかりが蔓延してしまったとしたら、それはそれで問題が大きいと思う。

「社会が本当に何を必要としているのか」ということをきちんと見抜く目を養い、暴力ではない、非暴力の方法で世の中に異議申し立てしたり、自分たちの手によって世界が変わるかもしれないという感覚や能力を育むこと。

あるいは、人間の底知れない業の深さについて直視し、暴力ではない、何か別のものを求め探ること。

そうした思索や営みのためには、本当は、ただ単に過去のこととして片づけ、永田洋子の死亡記事を読み飛ばすだけでなく、連合赤軍事件が何だったのか、「十六の墓標」やいろんな証言に、耳を傾けることが、左派やリベラルの人間だけでなく、野村さんのような右派や民族派に属する人間にも必要なのではないかと思うけれど、たぶん、どちらの人も、そう思う人はあまり多くなく、事件も歴史も忘れられ、風化していくばかりなのかもしれない。