横山安武 「時弊十条」

横山安武「時弊十条」


方今一新の期、四方著目のとき、府藩とも、朝廷の大綱に依遵し、各々新たに徳政を敷くべきに、あにはからんや旧幕の悪弊、暗に新政に遷り、昨日非としせしもの、今日却って是となるに至る。

細かにその目を挙げて言わんに、

第一、 輔相の大任を始め、侈靡驕奢、上、朝廷を暗誘し、下、飢餓を察せざるなり。
第二、 大小官員ども、外には虚飾を張り、内には名利を事とする、少なからず。
第三、 朝令夕替、万民孤疑を抱き方向に迷う。畢竟牽強付会、心を着実に用いざる故なり。
第四、 道中人馬賃銭を増し、かつ五分の一の献金等、すべて人情事実を察せず、人心の帰不帰に拘わらず、刻薄の所置なり。
第五、 直を尊ばずして、能者を尊び、廉恥、上に立たざるが故に、日に軽薄の風に向う。
第六、 官のために人を求むるに非ずして、人のために官を求む。故に毎局、己が任に心を尽さず、職事を賃取、仕事の様に心得る者あり。
第七、 酒食の交り勝ちて、義理上の交り薄し。
第八、 外国人に対し、条約の立方軽率なるより、物議沸騰を生ずること多し。
第九、 黜陟の大典立たず、多くは愛憎を以て進退す。春日某の如き、廉直の者は、反つて私恨を以て冤罪に陥る数度なり。これ岩倉、徳大寺の意中に出ずと聞く。
第十、 上下交々利を征(と)りて国危うし。今日在朝の君子、公平正大の実これありたく存じ奉り候。

右はこれまで建白つかまつり候者少なからざるやに承り候へ共、日々衰敗に趣き、これに功を見ず。いわんや至愚草莽の臣、たとえ幾百遍建言すといえども、勿論、立つべからず。故に恐れを顧みず、微身を献じ、歎訴つかまつり候間、何卒御洞察くだされたく歎願たてまつり候。
恐惶謹言。
ただし別紙を添え差上申候。
七月廿六日 鹿児島藩士族 横山正太郎

(別紙)

朝鮮征伐の議、草莽の間、盛んに主張する由、畢竟、皇国の萎靡不振を慨嘆するの余り、斯く憤慨論を発すと見えたり、
然れ共、兵を起すに名あり、義あり、
殊に海外に対し、一度名義を失するに至っては、大勝利を得るとも天下万世の誹謗を免るべからず、
兵法に己を知り彼を知ると言ふことあり、今朝鮮の事は姑(しば)らく、我国の情実を察するに、諸民は飢渇困窮に迫り、政令は鎖細の枝葉のみにて、根本は今に不定(さだまらず)、
何事も名目虚飾のみにて実行の立所甚だ薄く、一新とは口に称すれど、一新の徳化は毫も見えず、万民汲々として隠(ひそか)に土崩の兆あり、
若し我国勢、充実盛大ならば区々の朝鮮豈に能(よ)く非礼を我に加えんや、慮(おもんぱかり)此に出でず、
只朝鮮を小国と見侮り、妄(みだり)に無名の師を興し、万一蹉跌あらば、天下の億兆何と言云はん、蝦夷の開拓さへも土民の怨を受くること多し。
 且つ、朝鮮近年屡々(しばしば)外国と接戦し、頗る兵事に慣るると聞く、然らば文禄の時勢とは同日の論にあらず、秀吉の威力を以てすら尚数年の力を費やす、今、佐田某輩所言の如き、朝鮮を掌中に運(めぐらさ)んとす、欺己欺人(己を欺き人を欺き)国事を以て戯とするは、此等の言を言ふなるべし、
今日の急務は先づ、綱紀を建て政令を一にし、信を天下に示し、万民を安堵せしむるにあり、姑(しばら)く蕭墻(しょうしょう)意外の変を図るべし、豈に朝鮮の問ふ暇あらんや。