2016年 カティナ衣法要 ご法話記録メモ

「2016年 カティナ衣法要 ご法話記録メモ」


私たちが自分自身やこの世の中を理解するためのものを、「ダンマ」とパーリ語で呼びます。
ダンマには、①ブッダ釈尊の教え、②世の中や私たちに関すること、世界や自然のありさま、という二つの意味があります。
パーリ語で、ありのままのありさまのことを「ヤター・ブーター」と言いますが、これがすなわちダンマであり、このありのままのありさまを教えてくれるのがダンマです。


ブッダ釈尊には「一切智」(サッバンニュ)という呼び方がありました。
生命や地球のあらゆるものを理解しているということです。
しかし、ブッダ釈尊は、すべての質問に答えたわけではありませんでした。
35歳から80歳までの45年間、自分に見えたもののすべてを教えたわけではなく、その中から、人間に役に立つもののみを教えてくださいました。


仏典の中では、ブッダ釈尊はさまざまな人々からの質問に対し、四つの仕方で答えていると分類できます。


① 簡単な質問に対してすぐに一つの答えで答える。
② 質問に対しいくつかの答えの形で答える。
③ 一つのとても奥深い質問に対し長く時間をとって答える。
④ 無言で、その質問に対しては答えない。


①の「簡単な質問に対してすぐに一つの答えで答える」ことの事例としては、たとえば、7歳の子どもが、この世界で第一に大切なことは何かとブッダ釈尊に質問したことがありました。
ブッダ釈尊はその質問に対し、一番大切なことは、「栄養をとること」だとお答えになりました。
他の文化や習慣などは無視しても生きていくことができますが、栄養をとることは無視できず、どんな生命も栄養をとらないと生きていけません。
このように、簡単な質問に対して、すぐにきちんと答えてくださる対話の記録も仏典に多くあります。


②の「質問に対しいくつかの答えの形で答える」こととしては、たとえば、ある人がブッダ釈尊に対して、「人が社会生活で生きていくうえで自分の今いる立場や状態から下のレベルに落ちていく原因は何か?」という質問がありました。
ブッダ釈尊はそれに対し、
一、社会人として家族を大切にしないこと。
二、なんでもやりすぎること。たとえば、酒や遊びをやりすぎること。
三、法律と道徳とダンマを無視すること。
という三つを答えました。ダンマというのは、法律やその時代の道徳が許していても、自分の良心が許さない行為ということでもありますし、良いことには良い結果が生じ、悪いことには悪い結果が生じるという道理のことです。
このように、質問に対し、いくつかの事柄を挙げてお答えになることもありました。


③の「一つのとても奥深い質問に対し長く時間をとって答える」とは、たとえば、「無常」とは何かという質問に対し、人間は変わらないことを期待してなかなか無常を受け入れない心を持っているわけですが、とても細かく例を出されて、無常を説明されたことがありました。
このように、人間の心がなかなか受け入れることが難しい、あるいは理解することが難しい事柄に対し、質問は短くても、さまざまな事例をあげて長く時間をとってなるべく聞いている人にわかるようにブッダ釈尊はお答えになってくださったことがありました。


④の「無言で、その質問に対しては答えない」とは、たとえば、ある人が、「この空には終わりがあるか?あるいはこの空には終わりがないのか?」という質問をしたことがありました。
ブッダは一切智ですべてのことを知っていると聞いて、何の意味もないことをいろいろ質問することがあったことが仏典には記録されています。
古代インドの習慣では、三回同じことをお願いすると、必ず聞かねばならないということがありました。
しかし、このような質問を三回されても、ブッダ釈尊はお答えになりませんでした。
その場合は、質問自体が間違っていると理解するべきでした。
たとえそのことを知ったところで、何か良い意味や良い変化が生じるわけでもなく、その人に良い成長が起こるわけではない場合は、ブッダ釈尊はその質問に無言でお答えになりませんでした。
ブッダ釈尊は、心の成長の方法を教えました。
心の成長に役立たないことには、関与されなかったのです。


それでは、心を成長させる方法として、ブッダ釈尊が大切にされたことは何だったかと言いますと、a.感謝とb.人間に生まれたことの貴重さを理解することとc.慈しみとd.ものごとの原因と結果の理解とe.自分自身のカルマを管理することでした。


a. 感謝


ブッダ釈尊がお悟りを開かれたあと、言葉で最初に行った説法は初転法輪の御説法でしたが、その前に、言葉を使わずにお説きになったことがありました。
それは、悟りを開く直前にずっと自分を支えてくれて、暑さや寒さから守ってくれた菩提樹の樹に対して、まず最初に、自分を支えてくれたことに感謝をされたということです。
言葉ではなく、行動で、ブッダ釈尊は感謝の心の大切さを身をもってこの世界に示してくださいました。
自分を支えてくれたものには、木でも石でも、人は感謝すべきことを教えてくださいました。
人間は、生まれてからずっと、息をすることと、何かを考えることの二つからは離れることができません。
息から始まり息に終わりますし、考えるようになってからは、ずっと何かを考えて生きているわけです。
そのような人間が、何を考えどのような思いを持つか、その考えや思いの中で、どの思いが一番大切な思いで、良い思いで、清らかなエネルギーを生じるかといいますと、それは感謝の思いです。
感謝が、自分の中に良いエネルギーを高めてくれます。
人が生きていく中で、感謝が最も大事なことだということを、言葉を使わずに、ブッダ釈尊は最初に教えてくださいました。


また、この菩提樹への感謝ということは、大自然を大切にすることを教えてくださったことでもあります。
大地の自然があって、はじめて私たち人間は生きていくことができます。
自然の生命があるからこそ、私たちは生きていくことができます。
人類が自然を大事にすれば、人類は自然によって守られます。
しかし、人類が自然を破壊すれば、自然によって人類は壊されてしまいます。
常に自然に感謝し、常に自然のおかげで生きていることを忘れないことを、ブッダ釈尊は教えてくださいました。


b.人間に生まれたことの貴重さを理解すること


ブッダ釈尊は、繰り返し、人間界に生まれることは非常に稀なことだと教えられました。
輪廻の中で、人間に生まれることは、恵まれた大切にすべきことだと教えられました。
アビダンマ(ブッダ釈尊の教えを哲学的にまとめた「論」)では、人間界に生まれるには、三つの良いことが過去にあったからだとしています。
ひとつは、カルマの結果であり、過去に思いやりを持って生き、他の人を大切にする心を持っていたため、その良い結果が成長して人間界に生まれるとしています。
ふたつめは、慈しみの心を持ち、見返りを期待せずにほかの生命の幸せを求める心があったからこそ、人間界に生まれることができたとしています。
三つめは、良いことは良い結果を生じさせる、悪いことは悪い結果を生じさせるという、ものごとの道理を、たとえ少しであっても、ある程度理解していたからだとしています。
この三つの条件を持っていたからこそ、長い輪廻の中で、貴重な人間界に生まれることができたとしています。
それでは、人間界に生まれ、先に今から大切に考えることは何であるべきかと言いますと、今生で悟りに到達することか、今のレベルより落ちないことだと説かれています。
今生で悟りに努力して到達するには、エネルギーや条件が整わない場合は、少なくとも、今自分がいる境涯やレベルよりも落ちてしまわないことが大切です。
人間は、自分で努力して、自分の運命を変えることができます。
動物は一つのパターンを繰り返すだけです。
しかし、人間は、道徳的に生きて、自分のエネルギーを高めることができますし、今のレベルより落ちない自分をつくっていくことができます。
森の中には多くの木々がありますが、自分に見えるのは自分の近くにある木だけかもしれません。
しかし、山に登ると、森の木々の様子がはっきり見えます。
そのように、瞑想をして心を成長させ、煩悩のエネルギーの重さを減らすと、身近な木々だけを見てその影響を受けてしまうだけでなく、ものごとのあるがままの様子が見えるようになってきます。
この人生は、心を成長させるという、一つの大事な目標があります。
そのため、人間に生まれ、生きていくことの貴重さをよく理解し、そしてこの人生を支えてくれる人々やものを大切にする心を育てることがとても大事です。


c.慈しみ


慈しみとは、自分の心を育て、見返りを求めずに、他の幸せを求めることです。


d.ものごとの原因と結果の理解


良いことの行いは良い結果につながり、悪いことの行いは悪い結果につながる。
すぐ目の前の時間だけですと、良いことを行っても必ずしもすぐには良い結果が生じず、うまくいかない事柄もあるかもしれません。
しかし、長い輪廻の目で見ますと、良いエネルギーを生じさせる良い行いは、必ず良い結果を生じさせ、これからの人生を支えてくれるエネルギーになります。
今日一日だけではなく、これからの長い人生や、長い輪廻の中の自分を、良いエネルギーが支えていってくれます。
ダンマパダの最初の偈も、清らかな良い心で行ったことには良い結果がつながっていき、汚れた心で行う悪い行為には悪い結果がつながっていくことが述べられています。


e.自分自身のカルマを管理すること


人生の中で、輪廻の中で、カルマのエネルギーを上手に管理すると、自分のエネルギーを上げていくことができます。
しかし、カルマのエネルギーを下手に管理すると、下のレベルに落ちていってしまいます。
自分自身で、カルマのエネルギーをしっかり管理することが大切です。
上手にカルマのエネルギーを管理すれば、今の自分から、菩薩や阿羅漢を誕生させることができます。
そのためには、心を育てることです。


心を育てるには、身近なところから始めることができます。
身近な人や自然やものごとに、感謝する。
誰もいなくても、自然には感謝することができます。


まとめますと、身近なところから、感謝をはじめて、感謝の心を育て、感謝の心を深め広げていく。
次に、人間として生まれてきたことがめったにない、かけがえのない、恵まれた期間だということを理解して、自分を良く変えていく。
今の自分のレベルから落ちないように、自分自身を管理していく。
今から、ブッダ釈尊の教えを大切にしていくと、ブッダ釈尊に近づくことができる。
自分の清らかさを高め、清らかな良いエネルギーを育てていくと、自分の人生に後悔が残ることがなくなります。
自分を育てることができたと、この人生の終わりにも悔いがなく、満足して感謝することができます。
ブッダ釈尊は、最もすばらしい最高のお布施とは何かということについて、その人が自分自身でブッダ釈尊の教えを実行して良い方向に変わることだと述べています。
今日はカティナ衣の法要で皆さまお疲れのことと思いますが、自分のカルマのエネルギーをしっかり管理するということを、どうかこれから大切にしていただきたいと思います。


(以上)