保坂展人『相模原事件とヘイトクライム』

保坂展人『相模原事件とヘイトクライム』(岩波ブックレット)読了。
事件の教訓を風化させないためにも、多くの人に読んで欲しい一冊である。
ナチスのT4計画によってかつて20万人以上の障害者が殺害された。
相模原事件も、ともすれば噴出する、そうした近現代の優生思想や生産効率第一主義のひとつの現れなのだろう。
せっかく障害者権利条約や障害者差別解消法ができても、肝心の社会の意識が変わらなければ、絵に描いた餅になってしまうのかもしれない。
事件とその背景について、真摯に考察し、なんとか乗り越えようとしている著者の姿勢には、基本的には共感を覚える。


しかし、著者が主張するような、誰もがいつかは老いていくという想像力と、他者への共感という、この二つの視点だけで、はたして優生思想や生産効率第一主義を乗り越えることが可能なのかは若干疑問である。
もちろん、自分も老いたり障害を持つかもしれないという可能性への想像力や、他者への共感を育むことはとても大事なことである。
しかし、そうした人間の論理だけでは、なぜ障害者にも生きる権利があるのか、そもそも人権の根拠が何なのかということは、必ずしも明確には答えられないのではないだろうか。
この相模原の事件の犯人に共感する人々がいるということ、そして社会が必ずしも明確にそれらに対して克服できていないということは、実は根が深いのではないかと思う。
つまり、近代の世俗主義アポリアに直面しているからではないかと思う。

もともと西欧の自然法や人権思想は、キリスト教と密接に結びつきながら発展してきた。
実は人間の尊厳や平等や人権の根拠は、聖書の信仰にあり、そこから切り離された世俗主義の中では、必ずしもそれらの説明がつかなくなってしまう。
その視点を持たない限り、近代の世俗主義アポリアは、必ずしも乗り越えることができないのではないだろうか。


とはいえ、世俗化された現代社会では、世俗主義の論理の中で、可能な限りこの問題に取り組むことも大切なのだろう。
とすれば、やはり著者の言うように、立場の互換性への想像力と共感を育む道がまず大切なのかもしれない。


重い問題だが、引き続き折に触れ考えて行きたいし、ナチスのT4計画の歴史についての本も、いろいろ読んでみたいと思った。