去年の今頃、NHK教育テレビのETV特集で、「障害者たちの戦争」という番組を見た。
戦時中の障害者への動員や扱いが特集されていた。
http://www.nhk.or.jp/etv21c/update/2009/1206.html
江戸時代は当道座という組織があり、障害者の人は優先的に特定の職業(金貸しや三味線や按摩など)を独占できるようになっていて、そこで職業訓練や生計の道を立てることができたらしい。
しかし、明治維新後、当道座は廃止され、障害者の人たちはなかなか就職もできず、官公庁や一般企業にはまず採用されず、生計が大変だったとのこと。
また、納税と兵役の義務を果たしていないとして、社会からは差別や軽侮の対象となったそうだ。
番組では、岩橋武夫という人物が紹介されていた。
ライトハウスという障害者のための組織を設立し、ヘレン・ケラーとも親交があったらしい。
以前から障害者のための福祉政策や雇用を政府に働きかけていたが、なかなか世の中に受けいれられなかった。
しかし、日中戦争開始とともに戦争を障害者の福祉を拡充する好機ととらえ、積極的に戦争に協力し、政府に福祉政策を働きかけたらしい。
岩橋は、「戦争は悲惨の父であり、革新の母である」と述べたそうだ。
だが、軍部は、岩橋らによって行われた障害者たちの募金からの戦闘機献納などは喜んで受け取ったものの、必ずしも岩橋らの主張する福祉政策は受け入れなかったそうだ。
目の見えない人や、耳の聞こえない人は、マッサージの奉仕活動で戦地などに赴いたり、聴覚の発達から敵機の索敵に当たったりしたそうである。
一方で、精神病の人などは、「国民優生法」に基づき、断種などの排除化が進められたそうだ。
さらに、障害者でも戦争に積極的に奉仕している、といったマスコミの戦意高揚に使われることも多くなったそうである。
傷痍軍人が戦争の長期化とともに増加することにより、傷痍軍人への手厚い保護は行われるようになったそうである。
しかし、障害者の間での序列化が進み、傷痍軍人とそれ以外、また戦争に協力できる障害者とそれ以外、という風に分けられていったそうだ。
番組を見ていて思ったのは、近代という時代が、平和な時も戦争の時も、障害のある人たちに対して、かなり厳しい、よほど中世の方がある意味マシと言える側面を持った時代だったのではないか、ということだった。
健常者を基準とし、戦争に役に立つかどうかで人を見る。
そのしわ寄せを一番強く被ったのが障害者の人たちだったのだろう。
ナチスドイツのT4計画に比べれば、日本の方がまだしもマシだったかもしれない。
ただ、それも程度の差の問題だったのだと思う。
戦後の日本は、どうなのだろう。
一応、戦前と異なり、そんなに大きな戦争はない。
また、障害者に対する法的整備や雇用は、戦前に比べればはるかにマシになったと思われる。
しかし、経済に役に立つかどうか、経済競争に役に立つかどうか、という視点が、もし今もって社会に蔓延しているのであれば、制度的な部分だけ改善されても、あんまり精神の問題は変わっていないようにも思える。
たぶん、障害のある人たちに対してどのような態度をとるかということは、別に障害のある人たちに対してのみの話でなく、社会全体のあり方や価値観の縮図であり、氷山の一角なのではないかと思う。
岩橋武夫という人物は、ある意味、草莽崛起というか、下から立ち上がって、上の政策や時代の流れと呼応しながら、なるべく良い方向に世の中を変えようとしたのだろうけれど、必ずしも自分の意図が実現できず、かえってうまく軍部から利用されたように感じた。
時代をうまく利用しようとしても、必ずしも意図しない方向に流される危険がある。
政府筋に協力する時は、よほど時代を相対化する目を持つことも大事なのではないか。
そんなことも、考えさせられた。
また、彼がそうしなければならなかったのは、それ以前にあまりに過酷な時代や社会のあり方もあったのだろう。
いろいろ考えさせらる番組だった。
障害者たちへの態度が、もし社会全体のあり方や価値観の縮図であるならば、今の日本も本当に障害のある方たちが暮らしやすい社会かどうかを省みることが、ひょっとしたら自分たちの社会全体が人に対してどれだけ寛容で優しい社会であるかを省みる大事な機会になるかもしれない。