佐々木毅 「民主主義という不思議な仕組み」

民主主義という不思議な仕組み (ちくまプリマー新書)

民主主義という不思議な仕組み (ちくまプリマー新書)


民主主義という不思議な仕組みを支える精神や知恵について、古代からの流れをざっと辿りながら、とてもわかりやすく、一般向けに、平明に書かれているけれど、内容はなかなか深い。

二十世紀になるまで、ほとんどの国ではめったに存在しなかった民主主義。
古代ギリシャが民主主義の発祥地だが、古代ギリシャの哲学者たちにおいても、民主主義はそんなに賛美されていたわけではなく、むしろ懐疑や批判の対象だった。
また、極めて狭い範囲の都市国家でしか成立しえないというサイズの問題があった。

この「必ずしも芳しくない評価」と「サイズの問題」の二つの民主主義のネックへの応答が、近代の政治思想の課題だった。
アメリカ独立革命は、「広大な共和制」を構想し、規模を大きくすることにより派閥の影響力をかえって相殺させること、および政府の諸機関を相互に掣肘させる仕組みをつくり、「サイズの問題」をクリア。
さらに、社会契約説や人権思想によって、近代の民主主義は古代にはなかった道義的な力も持ちうるようになった。

とはいえ、「広大な共和制」では、直接民主制は不可能なので、代表を選挙で選出することになる。
この代表が、誰を、どのように代表するのか、ということが近代以降民主主義国において問題となった。

議員は単なる選挙民の意向をそのまま反映するだけの「代理」なのか、それともある程度の裁量のある「代表」なのか。

選挙民の意向を至上のものとする「世論の支配」賛美と、世論はしょせんは愚劣なものであり指導者によって操作されるものであるという「世論への蔑視」と、その二つの間を大きく政治思想は揺れ動いてきた。

著者は、上記の流れを辿った上、この二つはどちらも両極端だとし、政治指導者と世論には「せめぎあい」があると指摘。

政治指導者の操作には限界があり、世論はそれなりの諾否の反応を持つ。
また、政治指導者は世論を単に反映するだけの受け身の存在ではなく、何を代表するかについて、常に自ら選択し、問題を提起することができる。
つまり、課題設定と政策提案の面で大きな役割を政治指導者は持っているとする。
また、この「せめぎあい」「世論と政治の接点」において、良質な報道の存在が重要となってくるとする。

だが、最終的には各個人の見識や行動が民主制においては重要であり、著者は福沢諭吉を引用しながら、政治への当事者意識を持った参加、および市民的不服従の二つの行動を、投票だけではない、民主政治にとって大事な要素とする。

そして、これからの政治の課題としては、政治的統合、つまり価値の優劣を政治が決める役割や働きを自覚し遂行することを挙げ、特に、必要最低限の生活水準は何があろうと国民に達成させる「動かない機軸」を示し実践することが、グローバル化の中での政府の役割とし、それがなければ国際競争力は上がらないとする。

「あれか、これか」ではなく「より良く」の発想と実践こそが民主主義の運営には大事、というのも、全くそのとおりと思う。

その運営に失敗すれば、「人民による政治」が必ずしも「人民のための政治」にはならないのが、民主主義の問題だが、少しでもその二つのギャップを埋めるには、「民主主義という不思議な仕組み」をよく理解し、その歴史や流れや教訓をつかんで、二十一世紀型社会を責任を持って構想する賢い選挙民と指導者が必要なのだろう。
そして、各人自分にできる範囲でそのことを心がけることが今後ますます喫緊の課題なのだと、この本を読んでてあらためて思った。