慰めのことばは命の木

箴言を読んでいて、本当にそのとおりと思う箇所があった。


The soothing tongue is a tree of life,
but a perverse tongue crushes the spirit.
(Proverbs 15.4 NIV)


A gentle tongue [with its healing power] is a tree of life, but willful contrariness in it breaks down the spirit.
(Proverbs 15.4 AMP)


優しい舌は命の木である、乱暴な言葉は魂を傷つける。
箴言 第十五章第四節 口語訳)


癒しをもたらす舌は命の木。よこしまな舌は気力を砕く。
箴言 第十五章第四節 新共同訳)


穏やかな舌は命の木。
偽りの舌は魂の破滅。
箴言 第十五章第四節 新改訳)


慰めの舌は命の木。
悪しき舌は魂を損なう。
箴言 第十五章第四節 自分訳)


マルペー・ラション・エッツ・ハイーム・ヴェセレフ・バハ・シェヴェル・ベルーアハ


つまり、優しい・穏やかな・慰めの・癒しをもたらす言葉は、人にとって命をもたらすものである。
しかし、その逆に、乱暴な・偽りの・よこしまな・悪しき言葉は、人にとって魂を傷つけ損ない、気力を砕き、魂を破滅させる。


という意味だろう。


世の中には、このどちらの言葉が多いだろう。
なるべく前者を増やし、後者を減らすのが、世の中全体も、そして自分自身の人生も、良くしていくことにつながる。
そう箴言は断言している。


昨今のネット上に飛び交う言葉を見ていると、一方では優しい・穏やかな・癒しをもたらす言葉もあるものの、なんと粗雑な悪口雑言や虚言虚偽が満ち満ちていることだろう。


特に、政治的な事柄に関しては後者のオンパレードである。
しかし、もし本当に国や社会を愛し、そのありかたに責任を持つならば、まずもって自分自身こそは礼節をきちんと守り、何かの意見を言う時の根拠を大切にすべきで、流言飛語や悪口雑言には与しないようにすべきだろう。


歴史を振り返れば、雄弁と呼ばれる人にも二種類がいたと思う。
リンカーンキング牧師らは前者の「命の木」だった。
一方、ヒトラーなどは魂を損ない破滅をもたらすものだった。


今の世においても、二種類の人々がいるようである。
後者を避け、前者を選ぶことが、個々人としては最も大切なことだろう。
その積み重ねが、国家社会や、あるいは人類全体の命運をかたちづくっていくのだと思う。